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他人(ひと)の手を借りるという事

 実家の両親は、昨年の夏に体調を崩してから、ふたりだけの生活が無理になり、今は「ケア付有料老人ホーム」で暮らしています。直腸ガンでストマをつけている父は「訪問看護」を週に2回受けています。ふたりとも介護認定は「要支援」です。でも今のこの生活に落ち着くまではなかなか大変でした。

 8月に父は直腸ガンの手術を受けストマ生活になりました。これが思ったよりも厄介なもので、この扱いに慣れないことには退院させてもらえないのです。普通は自分ひとりでこのストマを張り替えできるよう指導を受けます。でも父の場合体調が悪い事、高齢な事もあって、看護士さんから

「どなたか家族の方が一緒にストマの扱いを覚えてくださいね。もし退院してからわからなくなったり、体調が悪い時には家族の方が張り替えをしてあげないといけないので…」

そこでわたしに白羽の矢が当たったのです。父は退院してからもずっとわたしに張り替えを手伝ってもらいたかったみたいです。でもわたしは、すぐにはOKを出す事ができなかったのです。張り替えは父の場合、3~4日に1度、時間にすると30分もあれば終わるのですが、実家まで40分かかるわたしが、もし子どもたちのどちらかが発熱したら、病気になったら、ナツが入院でもしたら…たちまちこの約束は守れなくなる。その時、父と子どもを天秤にかけて、どちらを優先させるか迷うのがいやだったのです。

皮肉なものです。子どものいない姉夫婦は電車で2時間の距離に住んでいます。近くにいるわたしはには、子どもがいるのでいつでも動けるとは限りません。昔ならともかくこんなにこどもの数が少ない現代で身内だけでの介護には限界が見えています。

最終的に選択した方法は介護保険を申請して、「訪問看護」を受けて、看護士さんに張り替えを手伝ってもらうという事でした。

他人(ひと)の手を借りるという事、公の制度を利用するという事になかなか踏み切れなかった両親です。

プライドでしょうか、世間体でしょうか、自分たちの老いを認めたくなかったのでしょうか?

わたしも年をとればその気持がわかるかもしれません。でもわたしは不思議なほど、人の手を借りる、ということに抵抗がありません。ナツの発症で、そうしなければ生きていけない状況を受け入れてきたからでしょうか?人間はみんな一人では生きていけない、助けてもらう事は決して悪いことではない。ナツの病気が教えてくれました。だって発症後、すぐに学校に復帰したナツはみんなの協力がなければ一日として学校に行けなかったはず…

しぶしぶ訪問看護を受け入れた父ですが、他人(ひと)の手は思ったより暖かかったようです。他人ながら本当によくしてくれます。もし今の介護制度がなかったらわたしたち家族の今年の冬は一体どうなっていたんだろう。さすがにヘルパーの派遣にはまだ抵抗があるみたいで、その部分はなんとか身内で助け合ってやっていこうと思います。

高齢化社会も少子化も介護保険の改定も今までひとごとでしたが、最近では本当に身近に感じます。わたしたちの年代がおばあちゃんになる頃には日本はどうなっているのだろうって思うと恐くなります。でもとにかく今を、今日を、1日1日を大事に生きていかないといけない、闘病中の父に会うたび、そう思います。

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