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8月4日のこと

 お通夜とはいえ、かなり眠ることができました。遅くまではしゃいでいたナツとユウは8時過ぎまで寝ていました。朝食は会館の方で予約をしておけば用意してくれます。和食のバイキングでした。ここにきて少しナツの食欲が落ちました。寝不足になってきているようです。当然打つ単位に困ります。少なめに…少なめに…。

9時前から、わたしと母と姉は喪服に着付けてもらいます。子どもたちは退屈なのでまたお風呂に入っています。開式は10時45分、わたしたち親族が式場に入るのが10時の予定です。10時前に測定させると160でした。何か少しでも食べておくほうが安心なのですが、正直もうそこまで頭が働かないのです。式場はクーラーがよくきいていて、ナツはしきりに寒がります。念のため読経の続く中で、ブドウ糖を補食させました。インスリンや補食を入れたかばんは、いつもどおりリュックにして背負わせました。こういう時は、いつも大きなかばんに何でも詰め込んで持ち歩いているわたしはすごく不安です。

滞りなく式も終わり、斎場へと向かいます。実はこのときに、集まったお香典をどうするかということで、結局ナツのインスリンのリュックにできるだけコンパクトにして詰めて持たせてもらうことにしました。会館のほうでは一切預かってくれません。親戚の誰かに頼むということも普通はしないようです。もし事故があった時に困るからと…かといってわたしたち親族が持つと目立ちすぎるし、他に位牌やら写真やら持つ物があって持つことができません。それでナツのインスリンのかばんの事を説明して、その中に入れてもらうと絶対に置き忘れることもないし怪しまれることもないので、そうしてもらうことにしました。

斎場に着くと、12時半。ここで骨上げまでの約2時間、親戚の方たちに寿司折を配って、控え室でみんなで昼食をとります。わたしと姉と母は、喪服から服に着替えるため、席をはずしました。ナツのインスリンのことは主人に頼みました。この時の食前の血糖が70でした。またしても二桁。やっぱり葬儀の最中とはいえ、補食は正解でした。そしてまたもインスリンの単位に悩みます。でも本当にこの3日間、こんな状況の中で今思うと素晴らしいコントロールができました。亡くなった父がナツの事を見守っていってくれている。そう思うようにしています。

そうそう、わたしの携帯電話が父が亡くなって、その連絡をみんなにした後で突然、壊れてしまいました。うんともすんとも言いません。落としたわけでも水にぬらしたわけでもなく、まだ買い換えて1年も経っていないというのに…実は主人は通信関係の会社に勤めています。色々調べてくれましたが、原因はわかりません。仕方がなく今は修理に出しています。いつもいつも病院からの電話、学校からの電話を気にして、もち続けていた携帯。まるで役目が終わったからもういいでしょうって言っているかのようです。

父はこうして、小さな小さな遺骨になって、今は母の部屋でおまつりしています。施設の中なので十分なことはできません。法事もお寺で家族だけで済ませていくつもりです。事情は父が一番よくわかってくれていると思います。後は残された母が少しずつ、これからの生活や楽しみを考えていってくれたら…そう思いながら、大変だった3日間が終わりました。

父の入院から本当にあわただしい毎日でした。でも、父が無理矢理退院して帰ってきたことも、また入院したことも、今思うと正解でした。一番いい選択だったと思います。車椅子で入院した父は、そのままベッドに横になって、結局最期までスリッパを履くことはなく、ベッドの上だけの1週間でした。入院中の父の様子は詳しくはわかりません。ただ暴言を吐いて、無理に退院したにもかかわらず、看護師さんたちはとても親切にしてくださったようです。父が亡くなったときに泣いてくださった看護師さんもおられます。最初は何やかやあった主治医の先生ですが、最期には本当によくしていただいたと感謝しています。

そして最後まで付き合って読んでくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。

明日からはまた楽しいブログをつづっていけるよう、頑張っていきます。

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「父のこと」カテゴリの記事

コメント

こんにちは^^
数日分をまとめて読ませてもらいました。
読んでいて、どうしても涙が出てしまいました。
結婚した翌年にそれまで同居していた(母方の)祖母が亡くなりました。ちょうどハルがお腹にいる時でしたが、会場の手配や手伝いをしたことを思い出しました。
その時は祖母だったので、少しなっちゃんの立場に似ているけど、その時の母の姿がとても辛く忘れることが出来ません。
次は私があの辛い気持ちになるんだといつもよぎります。(まだ私の両親は元気ですが・・・^^;)
ちょうどなっちゃん達位の時に亡くなった祖父の時にはやはり皆が集まって、料理が出て、遊んでいたことを思い出します。泣いたのはお葬式の時だけだったし・・・(>_<)
でもコントロールもしつつ、病院に泊まってなっちゃんママさんの姿を見たなっちゃんやゆう君にはいろんな事が伝わっているのではないかと勝手に思います・・・
長いコメントでごめんなさい^^;
暑いので疲れを出されないように・・・☆

投稿: はるママ | 2006年8月 9日 (水) 16時41分

はるママさんへ☆いつかはみんなが経験することなんですよね。
わたしは父の余命を宣告されてから、いつかくるこの日のことを自分の中で納得させる、そんな毎日を送っていたような気がします。
その時、わたしはどうなってしまうんだろうって、こわかったです。その覚悟を決めるための時間を神様がくれた。それに耐えられるだけの覚悟ができた時に父は旅立っていった。そんな気がします。
父の危篤の時、ナツやユウがいてくれたから耐えていけました。もしあの晩、ひとりで父と向き合っていたら、きっと耐えられなかったと思う。
その場に泣き崩れてしまいそうでした。
子どもたちは足手まとい?とんでもなかった。すごくあの子達がいてくれて救われていました。
子どもだ、子どもだと思っていたのに、いつも間にかわたしのほうが助けてもらっていました。
でも、顔を見るとついつい「宿題は…?」って怒鳴ってしまう^^;

投稿: なっちゃんママ | 2006年8月 9日 (水) 18時43分

なっちゃんママへ
読みながらなっちゃんの成長すごいと思いました。お母さんが大変な時自分自身で血糖測定インスリン注射しっかり出来ていますね。

お葬式は自分の感情が後回しになるほど慌しくすぎて行くように思います。なっちゃんママ疲れていませんか?みんなに看取られてお父様幸せに旅立ったのだと思います。
お盆前に旅立つ人は幸せな人だと何かの本で読んだ事があります。
子供の力ってすごいですよね親を本当に助けてくれるのは子供なのかも知れません。

投稿: なつき | 2006年8月10日 (木) 16時16分

なつきさんへ☆何かに付け、めそめそしてしまうわたしと違って子どものほうが現実を受け止めていたりして…長かった介護生活、これで半分は終わり(まだ母のことがあります)。
いろんなことがありました。正直ホッとしたという気持ちより、まだ最期の時の気持ちから、抜け出せない、そんな感じです。
でも時が解決していってくれる…今は一日一日を大事に前を見て歩いて行かなきゃ。去年もできなかった家族旅行を今年は簡単にでもしたいと思っています。
思えば父は旅行が大好きな人だったから、きっとこんなときに旅行に行っても許してくれるかな

投稿: なっちゃんママ | 2006年8月10日 (木) 17時45分

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