« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

自由研究

 いよいよ夏休みも大詰めです。毎年頭を悩ませる自由研究ですが、今年は意外にすんなりといきました。ナツたちの学校の自由研究は工作あり、手芸あり、観察記録ありと何でもありです。それに作るのも親子の合作でもいいし、お友だちとの共同制作でもいいのです。2学期の初めには「夏休み自由研究展」が開かれて、いろいろ賞ももらい、保護者、地域の方向けに公開されます。そんなわけで、できるなら賞もとって欲しいし、頑張っていい作品を作ってほしいのです。ナツは2年前には、学年で一番大きい「児童会長賞」というのをもらいました。すごくすごく喜んで帰ってきました。もちろんかなりわたしの手が…入っています。

去年はまぁ色々と忙しい夏だったので、ふたりとも何も賞はもらえませんでした。それどころか満足のいくものも作れなくて悔しかったのです。そして今年、忙しいのは変わらないのですが、何とかそれなりに頑張りました。

まず、ユウの作品。立体地図を作りました。ベニヤ板に(実はこの板は2年前のナツの作品に使ったものです)粘土で少し凹凸をつけて山、川、海を作り、後はちょこちょこ色を塗ったり、お菓子の箱で家や建物を付けていきました。この粘土がとても高くて3000円ぐらいかかってしまいました。それを除くと廃物利用です。箱に色紙を張ったり、つまようじで木を作ったり割り箸で鉄橋を作ったり、あっそうそう道路の端に立てているのはナツの注射針の小さいほうのキャップです。ほぼ完成ですが、7割近くがわたしの手によるものかもしれない^^;112_1255

この立体地図は実際にある川の様子をヒントにしています。実はこの川、いつもわたしが実家に通うときに通る川の風景です。ちょうどこの川の上流から下流に向かって川岸のどちらかかの道を走ります。最後に川を渡るともうすぐです。約1年間通った道です。冬の荒れた川、菜の花の咲く頃、そして桜、梅雨水かさが増えて溢れそうな川、思えばよくこの川を見ながら運転したものです。だからなぜか今年はこれを作りたかった。ユウにとっても見慣れた景色です。なかなか実際のようには表現できなかったけど、何だかとっても満足な作品になりました。(って、誰の宿題だ~~?)何とか賞は取れるかな?

そしてナツの方は、もう4年生にもなるとなかなか工作では賞は狙えないです。しかもナツは工作が嫌い。そこで、7月の初めに何気なく買った「二十日わけぎ」の球根をナツに見せて、これを植えて育ててその観察日記を自由研究にしてみたらって言ったら、すっかりその気になって、しかもお友だちまで誘ってしまいました^^;112_1208

まぁそこまではよかったのですが、なかなかそのお友だちと日程の調整がつかずに、結局準備の買い物と植えるのが、一緒にできたぐらい…後は、それぞれ画用紙にまとめて最後にこれを綴じるというわけです。わけぎって普通は2月から3月頃の野菜なんだけど、この二十日わけぎは別名「琉球わけぎ」といって沖縄で栽培される野菜で暑い中、わずか植えてから収穫までが20日なのです。しかも採った後もまたそこから伸びてきて、2回ぐらいは収穫できるとか…なかなかいい教材になりました。味のほうは、この辺のわけぎと違ってほんとに癖がなく食べやすかったです。酢味噌和えにしたり、お好み焼きに入れたりして食べました。

ナツにとってはお友だちとの共同制作は初めてでした。いつ電話してもお友だちが留守だったり、逆にこちらにも用事があったりでほんとに調整が難しい。その子のお母さんとはメールでやり取りもできるけれど、あえてナツたちに任せてみました。結果は…もう少しふたりで一緒にできる時間が取れたらよかったのになぁですが、一応形にはなりました。やれやれです。賞のほうは別としてこれもいい経験かなと思います。

こうして無事、ナツ・ユウ家の夏休みは終わりそうです。また2学期が始まります。血糖のこと、補食のこと、そして保健の先生のこと…う~~~ん、考えると頭が痛い。でも42日前のわたしたちと何かが違う、そうです。少しは成長しているのです。だからまた2学期もなんとかやっていくのでしょうね^^   うん、楽しみ楽しみ。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

電話

 キャンプのボランティアの学生さんから電話がありました。キャンプの別れ際、「また今度キャンプの事で話がしたいので電話をします」と言われていたのですが、一時的な感情かなと思っていました。もしかしたらキャンプ中、ナツに対してかなり厳しく注射のことで言われていたようなので、その事を気にされて…かなと思っていました。違いました。

「キャンプでなっちゃんの測定や注射を見ていてちょっと気になることがあったので、お知らせしておこうと思いまして…」   「はぁ~~」

「キャンプ中、なっちゃんは測定の針を変えないで打ったり、消毒もしないで測定したりしていますが、おうちではどうされていますか?」いきなりこれでした。まさか家ではきちんとしているのにキャンプ中だけしないわけないじゃないですか。わたしもばかです。適当に「もう~~しょうがない子で、いくら言ってもしないんですよ」ってごまかしておけばよかったのに…ついつい真剣になってしまいました。

そして、一日頻回の測定、注射の毎日の日常生活の中で、その子なりの手の抜き方があってもいいのでは…実際、大人の方で針を変えないで注射されるかたも大勢いらっしゃるようだし、それでばい菌が入ったっていうこともないみたいだしと話してみたのですが…

キャンプ中は特に外で測定したり、汚い手で触ったりすることも多いので、きちんと消毒しないと…延々続く。そして今度は、「なっちゃんは測定で針を刺す場所がいつも同じ指ばかりなんですが、お母さんはその事に気づいておられますか?」と…

そして「そうしていると、そこの皮膚が固くなってしまい…いろいろな場所で測定できるようにしないと…キャンプ中に先生やOGの方と相談して、違う指で測定することができるようになったんですよ!ちょっと声をかけて、『違う指でやってみよう』って言ったら、ちゃんとできるようになったんですよ!帰られてからおうちではどうですか?」  「はぁ~~~」

こういう風に言われると何だかわたし、家では何もナツの事を見ていない母親のように思えて少し、そう少し嫌な気分になってしまいました。確かにそういうことに気をつけてみていただけたことはとても嬉しい事なんですが、キャンプって教育入院じゃないんじゃないのかな。

そして次に注射の事、「なっちゃんは同じ場所ばかり打っているので、そこが青くなってしまっていまして…」    「はぁ~~~~」

青くなるのは皮下出血の跡で、別に同じ場所にばかり打つからではないのです。その証拠に最初にわたしがナツに始めて打った後は今でも青くなったままですもの。たった一回打っただけで青くあざになってしまいました。そして少しだけ、言いました。

注射はこの子たちが一生付き合っていくものなので、親としては場所を変えて欲しい、でもそれ以前に注射を嫌いになってしまうことを避けたい…と。ナツは時々言います。もう注射なんか嫌いだから打たない、死んでもいいから打たないって。そんなナツと注射と一生付き合っていくのは親なのです。何を優先させるか試行錯誤しながらの付き合いの中で、教科書どおりに「同じ場所にばかり打っていたらそこが固くなって…だから打つ場所は変えていかないといけなくて」

そんなこと今更言われなくてもよ~~~くよ~~~くわかっています。ちょっとわたし疲れていました。言った後からどんどん自己嫌悪に陥っていくのがわかっていてそれでも言わずにはいられなかった。たった5日間だけの付き合いのあなたに何がわかるのよ~~~って。まぁこれは言わないでおきましたが…

そのかわり、いやいや飲まないといけない野菜ジュースのわけ、どんなにナツがその事がいやだったか、話しておきました。そしてひとつわかったこと、4年生の女の子が今回は4人いてそのうちの1人とは同じ部屋、同じ班に決まっていたそうです。でも直前にその子が体調を崩して参加できなくなり、後のふたりは同じ部屋、同じ班だったそうです。それを聞いて少しホッとしました。

同じ歳のお友だちはできるといいので、同じ班にして欲しいとお願いしていたわたしの希望はかなえてもらっていたのです。残念だったなぁ。その子が参加できていたらきっと一緒に色々な話ができて楽しかったかもしれないのにね。あとは来年に期待しよう。

発症から2年、注射の場所、測定の場所、消毒のこと、ついついなおざりになっていたのは事実です。でも無理もないでしょう。あまりにもいろいろなことがあってそんな中でわたしはできるだけのことはしてきたつもりだったけど、見えていない部分がいっぱいあった。もう少し落ち着いたら、またナツと注射と測定と…きちんとやっていかないといけないな。そう反省しながらもすこしだけ、後味の悪い電話になってしまいました。

何度も書きますが、暑い中準備から実際のキャンプへと参加していただいたスタッフ、ボランティアの方たちには感謝しています。でもやはりまだナツの口からは楽しかった、来年も行きたいという言葉が出ないのも事実なんです。そして親の気持ちは複雑なんです。

| | コメント (16) | トラックバック (0)

真夜中のドライブ

 主人は電車で片道1時間かけて通勤しています。JRとJRを乗り継いでいくので、この乗り継ぎがうまくいかないと1時間半かかることもあります。しかものこ乗り継ぎの線は最終電車が11時で終わります。当然忘年会とか歓送迎会、単なる飲み会…この最終電車に乗れないことは時々あります。最近はかなりその回数は減ってきて1ヶ月に1回ぐらい。結婚した頃は、1ヶ月に5回ぐらいあったかな。で、昨日は久しぶりにその日でした。

11時半になっても帰ってきません。もう最終電車が到着した時刻は過ぎています。つまりそれには乗っていない。こういう時、どうするかというと、わたしがその本線の駅まで車で迎えに行きます。片道30分かかります。これが真夜中のドライブなのです。

車の運転は嫌いではないので、実はこれは亡くなった父譲りです。こんな時間にひとりで真っ暗な道を運転するのは意外と楽しいときもあります。特に金曜日の夜だと次の日は朝寝坊ができるので、少々時刻が遅くても平気。

でも、真冬の寒い夜(フロントガラスが凍っている)、体調が悪いとき、雨の日はさすがにこの真夜中のドライブも苦痛です。でももしわたしが迎えに行けなかったら、タクシーで帰るしかないのですが、1万円はかかります。まぁそういう経験も何度か^^;

田舎暮らしの宿命?飲める主人を持った宿命?と割り切って走ります。でもナツのIDDM発症以来、やはり夜間に1時間家を空けることはすごく不安になりました。夜間の低血糖が起こったら…もしその時わたしがいなかったらどうするだろうという不安。下の部屋には義母がいますが、ナツの低血糖に対する知識はありません。もちろん教えないわたしたちが悪いのですが、1ヶ月に1回は2回の時にたまたま低血糖を起こす確立はすごく低いので、かえって心配しすぎて見にいかれても嫌だし、特に何も言っていません。

昨日の寝る前の血糖値は256。「少し打ってから寝たら」って言ったのに、「打ちたくない」といってそのまま寝てしまいました。よかった、今思えば結果オーライです。もし追加で打っていたら、すごくすごく不安。でも真夜中のドライブ…飛ばせそうで飛ばすのはとても危険なのです。そんなわけで一応200以上もあるこんな日は安心して行けました。帰ってきて、何事もなく寝ている寝顔を見るとほんとにホッとします。

ちなみに主人はわたしのこんな不安はあまり理解できないようです。呑気というかなんというか…だから平気で飲んでいられるんでしょうけど…

| | コメント (0) | トラックバック (1)

久しぶりの神戸

 今日は子どもたちを連れて久しぶりの神戸へ行ってきました~~~。夏ばて気味で身体が重いけど思い切って出掛けてよかったです。多分家にいても一日中ごろごろで何にもしなかっただろうなぁ。

今日のナツの朝食は、「ハムチーズ」でした。これは、6枚切りの食パンの上にスライスハム1枚とその上にとろけるスライスチーズを1枚乗せてトーストしたもの。ナツのお気に入りで今朝は2枚分食べました。やや多めに6単位打ったのですが、2時間過ぎても全く下がりません。327です。しかたなく2.5追加打ち。約1時間後、低血糖かもというので測ると255。下がらないなぁ。でもまだ1時間しか経っていないし、頑張って歩きます。昼食前にやっと176でした^^;

で、昼食です。いつもはマンネリで同じお店でばかり食べていたので、思い切って違う場所を開拓しました。その名も「健康食堂 サンルーム」。何だか神戸の町とこの食堂という言葉のミスマッチがおもしろくてそこに決めました。さすが健康食堂というだけあって健康志向の黒ゴマとか自然玉子とか地鶏とか、一風変わったメニューが並びます。

ナツが選んだのは、「自然玉子のオムライス」。まぁ、普通のオムライスですが、玉子がすごく綺麗にくるんでいる、家ではこんなにはできません。わたしが選んだのは、「地鶏と玉子の健康ぞうすい」。これはくこのみとか黒豆とかが入っていて、おだしにも独特の味。何だか健康になれそうな感じ。これに「ごまだれの冷奴」が付いています。ユウは平凡に「きのこのぺペロンチーネ」。すご~くにんにくがきいていました。ナツは多めに6単位打ちました。112_1238 112_1239

で、この後わたしたちは神戸を離れて今回の目的地、舞子に向かいました。舞子駅から歩いてすぐの「舞子海上プロムナード」へ行ってきました。ここは地上8階の明石海峡大橋の展望施設です。ちょうど海の上の遊歩道のようになっていて、その中に床がガラス張りの場所があってそこから下を見ると海にまっさかさまに落ちそうな感じがおもしろくて、何度も何度も通りました。しかも丸太の木がそこに置いてあってその上を渡ると海の上の綱渡りのようです。

しかし…遊歩道を何回も歩き回っていたので、低血糖です。43。迷わずソフトクリームを食べていました。子どもたちは望遠鏡を覗いたりしておおはしゃぎでした。わたしものんびりと海や行きかう船を見ているとすご~く癒されました。海っていいな~。結婚するまでは毎日海を見ながら通勤していたわたし。実家は海の近くなので行く途中で少しだけ海が見えますが、今すんでいるところはどちらかというと山の中です^^;

家に帰ると4時、頭が痛いから高いかも…というので、測ると103。しっかりソフトクリーム食べてもあれだけ歩くと下がるんだ。久しぶりによく歩いて疲れましたが、大満足の一日でした。112_1241

| | コメント (8) | トラックバック (0)

サマースクールの1日

 夏休みには市が主催するサマースクールが毎年、色々行なわれています。ナツはこういった単発のイベントや体験教室が大好き。特に今年から4年生以上とかの条件付のコースもほとんど全部クリアーなので、目移りしそうなぐらい。で、日程が合うものを選んで、7コースに申し込み5コースに当選。だけどそのうちの2コースは父のことに重なって直前キャンセルでした>_<

で、今日は午前に「トールペイント体験」、午後からは「手打ちうどん体験」とハードな1日でした。当然こういう時は高めコントロールで乗り切ります。

まず朝起きたとき251。珍しく200越えです。だから普通に朝食を食べたけど、思い切って6単位打ちました。本当は4か5ぐらいで押さえておきたかったんだけど…ナツが昨日のランタス入らなかったのかなとちょっと心配。でも大丈夫3時間の教室なので、少々高くてもお昼で調整できます。トールペイントは、9時半から12時半まで。お昼がいつもより少し遅くなるので、ブドウ糖もポケットにしのばせます。でも運動するわけでもないので、何とかもってくれるでしょう。

12時半に迎えに行くとまだ終わっていません。10分ほど遅れますと言われてじっと待っていました。午後の教室が13時半からだからちょっとイライラ。この1時間で測定して昼食を食べて打ってから次の教室へ行かなければ行けません。昼食は帰ったらすぐに食べられるように、テーブルの上に用意してからきました。やっと終わって車に乗るなり、「下がったからしんどかった~、手は震えてうまくできないし、だからブドウ糖1個食べたよ」

ランタスにかえてからも、昼食前にはぐっと下がるナツです。12時に食事なら全然問題ないのに…この30分がこわいのです。でもブドウ糖食べるタイミングがつかめるようになってよかった。また2学期が始まってもこんな感じの生活が再開するのです。

家に帰って測ると102でした。やっぱりブドウ糖が正解でした。急いで食事をとって、今度こそ少なめに打とう。午後のうどん打ちは立ちっぱなしだから、意外と下がりそう。でも問題はそのうどんをいつ頃食べることになるかなのです。今までの経験からいって、少し食べて残りはお土産というパターンが多いので。でもまさかその分を見込んでインスリンを打つわけにはいきません。こういう時だけは、迎えの車で打たせるしかありません。結局午前中の反省から、すごく控えめに3.5打たせました。

4時半終了予定ですが、また遅れるかな…とりあえず、4時20分には迎えにいきました。しっかりインスリンを持って。

もうとっくに終わって待っていました。なんと1時間も待ったよ~~。え~~なんで4時半までって書いてあったのに。まぁそんなに予定通りにいくわけではないんですけど。で、よくよく聞いてみると3時ごろに出来上がったうどんを冷やしうどんにして食べたらしい。既に1時間半も経っています。高いだろうな。おうどんだもんね。それならお昼のインスリンもっと多めに打っておくんだった>_<

車の中で打ったらって言うのに結局帰ってから家で測りました。346。予想通りです。まだ何か食べたいというので4.5打ちました。やっぱり家にいるようなわけにはいきません。でも楽しめたようで何よりです。自分で打ったおうどん、すごくおいしかったようです。お土産に2人分持って帰ってきました。何だか朝から晩まで送り迎えの一日、あっという間でした。なぜかナツがいない時間って早く感じる、なんで?

この後、毎週水曜日のECCもありました。またまた送り迎えでした。

112_1233 トールペイント教室で作った「熊のペン立て」です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

お寿司な1日

 今日は、亡くなった父の三逮夜(みたいや」の法要の日でした。10時にわたしとナツとユウ、それに母と姉の5人でお寺に行きました。一緒にお念仏をあげ、お墓にお参りします。約40分かかります。これがわたしたちの毎週月曜日のおつとめです。先週もそしてもちろん来週もです。当然子どもたちは退屈です。夏休みじゃなかったらなぁ。でももう少しの我慢我慢。今日はお昼ご飯にお寿司ということで、つき合わせました^^;

お寺を出てから、父の預金の解約や、保険の請求。行かないといけないところがいっぱいありますが、ちょうどお昼になったので、約束どおりお寿司です。父はお寿司が大好きな人でした。この1年間、本当によくお寿司を食べました。入院先の病院にまで差し入れして、代わりにわたしが病院食を食べたこともあるぐらいです。

そんなわけで(どんなわけ?)、今日はちょっと豪華なお寿司屋さんへ。お昼とはいえ、よくすいています。(だって高いんだもの)わたしと姉と母は「盛り合わせ」(950円)を注文。ナツとユウは単品で注文します。(小学生のくせに~~~)頼んだのは、えび、いくら、マグロ、玉子です。それぞれ2かんずつなので、全部で8かん。子どもにしてはなかなかのボリュームですが、ふたりともぺろりと食べます。よく考えたらこの注文の仕方だとお値段がわかりません。レジでびっくりしました。ひとり1700円でした^^;    だってマグロって言ったのにどう見てもトロだったよ~~。お会計は母もちなので、できることです。そうでなかったらとてもとても。でもこれで一日おとなしく大人の用事に付き合ってくれるのならよしとしましょう。

午後からは保険の請求にすごく時間をとられて、家に帰ったのは4時でした。

そして今日の夕食、ひどいメニューです。だってお昼が豪華だったんですもん。

オクラのおかか和え、かぼちゃとベーコンの洋風煮、なすとハムのマヨネーズあえ、きゅうりの浅漬け

しかも、オクラ、かぼちゃ、きゅうり、なすび、玉ねぎは全て家でとれた物ばかり。でも、お昼にしっかり食べたのでこういう粗食がなぜかおいしかったりして…(あっ、写真とっておいたらよかった)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

サマーキャンプに思うこと

112_1216  ナツがサマーキャンプで覚えてきた左手の腕に打つ技を披露してくれました。今までは腕は自分で打てないのでわたしがナツの右腕に打っていました。なぜか左には打たせてくれません。当然同じところにばかり打つことになります。なので違う部位に打てるようになって帰ってきてくれることは、大変嬉しい事なんですが、かなりこぼした涙も多いようでした。

「『そんなとこには打てない』って言っても許してもらえないんだ。」

「誰が?」

「ボランティアの○○お姉ちゃん、いくら泣いてもここに打ちなさいって言われるの」

ふ~~~~~~ん、これが別れ際のボランティアさんたちの涙の理由なのかな、そしてその横で白けた顔をしていたナツ。色々ナツから話を聞いていると少しずつわかってきました。

デモね~~~。別に是が非でも、左腕に打てるようにしてくださいってお願いしたわけではないのに…泣かせて打たせるのなら親でもできます。キャンプで違う部位に打っているお友だちを見て触発されて打てるようになる…そんな理想を追いかけていては無理ということなのかな。それとももう4年生だからそれぐらい厳しくしなさいという指導を受けていたのかな。親の気持ちは…同じ場所にばかり打っていたのでは、入らないときがある。いろいろな場所に打たせたい、でもだからといって無理矢理では、注射そのものが嫌になってしまう。

わたしは自分でランセットは自分に打てることができるけれど、悲しいかな、インスリンの針だけはどうしても自分の身体に打てない。だからナツに色々な場所に打てるよう無理強いすることはできない。そう思ってきました。

キャンプ中はこんな感じでいつもボランティアさんの目の前でインスリンを打つ。だから誰かが同じようにインスリンを打っている姿を見ることはあまりなかったようです。

もうひとつ不思議なのは、同じ4年生の女の子が何人か参加していたのに、話しをする時間もないし、名前さえ知らないで帰ってきました。これも、え~~なんで?という気持ちがぬぐえないのです。同じ班じゃない、同じ部屋じゃない、だからなかなか5日間も同じ行動をしていても話はできないものなのかな。確かに勉強会で隣に座っていても、雑談できるわけではない、キャンプ中のスナップ写真を見ていて無理ないなぁと思いました。でも去年のことでそれもわかっているので、今年はあえて申込書の「希望すること」という欄にわざわざその事を書いておいたのに…。

こうして考えてみるとキャンプの目的って何?キャンプの意義って何?って思ってしまう。

キャンプに行く前には自己注ができなかった子が自分で打てるようになる。同じ場所にばかり打っていた子が違う場所に打てるようになる。それはそれですごいことだと思う。じゃあそれ以上の年齢の子が参加するのはなぜ?やっぱり仲間を作ることじゃないのかな。わたしがこうしてブログ仲間に愚痴をこぼしたり、掲示板で悩みを相談したりすることで、何とかIDDMと付き合っていけているように、ナツにはナツの世界でやはり仲間は絶対に必要だと思うから…

ひとつには4年生という年齢が中途半端で難しい。それが大きいかもしれない。でも今年のキャンプ、ナツにとって楽しかったなぁって思い出せるのにはまだ時間が必要なようです。親としては、これも成長の一過程、そう思うようにしたいです。決して決してキャンプに対して、文句を言っているわけではありません。ハイ^^;

| | コメント (8) | トラックバック (0)

先祖供養

 わたしは一応、本家に嫁いだことになるのでお盆には色々と儀式があります。まず13日、家族でお墓参り、亡くなられたご先祖様を迎えに行きます。そして14日、午前中にお坊さんが参ってこられます。14日と15日の夕食後に家族で「西国」というお念仏を唱えます。これを我が家では、「けんけんをする」と言います。(鐘をけんけん叩きながらお念仏を唱えるからでしょう)。15日にはこのけんけんの後、鐘と線香を持って近くの川にご先祖様を送っていきます。わたしの実家でも多少簡素化されてきていますが、同じようなことをしていました。もちろん今は施設にいるのでこういうことは全くできません。

本家といっても、嫁ぎ先のご先祖様は主人のお父様一人です。主人が23歳の時に、ALSという難病で亡くなられたそうです。なので、もう20何年(主人の歳がばれる^^;)もたっています。かたやわたしの実家は、延々とご先祖様がおられる家系でした。しかし、わたしには姉しかいません。当然家系は両親の代で途絶えることになります。養子をもらう…という選択がなかったわけではありません。でも両親はそんなにこだわっていなかったようです。そのかわり、わたしたちが嫁いでからはいずれ来る自分たちの死を考えて、お寺の住職さんに相談されていました。両親が出した結論は「永代供養」です。

両親の死後は、法事やお墓参りはできる範囲で行い、基本的には永代供養にしてもらうということでした。おそらくわたしか姉が元気なうちはお墓参りもできるでしょう。でもナツやユウは…そこまで望むのは無理。いずれ実家のお墓には誰もお参りする人がいなくなる。そうなったら、お寺のほうで、お墓も墓地もいいようにしていただけるそうです。

実際、父が亡くなっても、十分に後々のことはできません。毎日親戚が集まってお念仏を唱える。そんなことはできません。決められた法要の日にわたしと母と姉の3人でお寺に行き、法要を営み、お墓にお参りする、それができる全てのことです。四十九日、1周忌、3回忌、どれもそんな感じです。

さて話は戻りますが、我が家のお盆の儀式、ナツがサマキャンに行くようになってからはナツ抜きで行なっています。そして15日の晩、わたしもナツも体調が悪く、お念仏パスしようか…と思っていたら、義妹がお参りに来ました。まぁ義妹からみたら、実の父親ですから、当然と言えば当然ですが。そんなわけで、またみんなでお念仏を唱えることになりました。わたしは喉が痛くて、声も満足にでません。ナツもこの日はくたくたでした。

考えてみたら、ここのおじいちゃんはもう亡くなられて20何年。果たしてわたしの父が、それぐらい経つ頃には、わたしはお墓参りさえままならないでしょう。それを思うと同じ父親なのに、娘か息子の違いで何たる違い。ナツやユウだって本当に可愛がってくれたのは、わたしの父のほうなのに…(主人のお父さん、ごめんなさい)。こうして主人のお父様のための儀式を行ないながら、自分の父のことは何も十分にしてやることができない。本当に本当に胸が痛くなります。

そしてその後、川に送りに行きます。近くといえば近くですが、これもパスしたかったのに、わたしって気が弱いのです。仕方なくついて行きます。義妹は家の前で別れて帰りました。そして川に行って、また鐘を叩きながら、簡単なお念仏を唱えてお線香を流します。

義母が、「おじいちゃんがナツの病気を持って帰ってくれますように…」なって言っています。こんな言葉さえ、聞いていて嫌になります。(心が狭いわたし>_<)

その時、ナツが「しんど~~い」と一言。しまった、下がったかも…

「ナツ、先に帰ろう」って言ったら、主人がすかさず、「ちゃんとけんけんして送ってあげなきゃ…」って言ったもんだから、切れました、わたし。

もう~~~何言ってるのよ。何でも儀式儀式。そんなことどうでもいいじゃないって。

「お父さんが代りにしてくれたらいいじゃない」と言いながら二人で走って帰りました。測ったら56でした。主人は義母と自分のふたりになるのが嫌なのです。なのでわたしたちをひっばろうとするのです。

家に帰って、何とも辛い気持ちで久しぶりに涙が出ました。本当に供養してあげたい自分の父、でも何もしてあげられない。いくら嫁いだって娘にあることには変わりないのに。

この前読んだ本にはこう書いてありました。

「供養はお墓参りや仏壇の前に座ることだけではない、本当の供養は電車に乗っていたってできる、亡くなった人の事を思ってあげる、それだけでも立派な供養になる」って。その言葉に救われながら、今日も父の事を思ってしまいました。無理もありません。1ヶ月前まではまだこの世にいたのですから…お盆、ついつい感傷的になってしまいました。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

サマーキャンプが終わって

 昨日はナツを迎えに行ってきました。朝から、わたしも喉がちくちく痛む。どうやら夏風邪をもらってしまったようです。でも、今日は頑張って迎えに行かねば…1時現地解散なので、家を11時に出ました。ナツ抜きで外食するのも嫌なので、朝から買い物に行ってお弁当を作って持っていって途中で食べました。そうなんです。この距離わたしは運転できないので、主人とわたしとユウの三人で出かけました。

現地に着くと1時5分、あせった~~。でもまだ出てきていませんでした。スタッフたちで階段の両サイドに花道を作ってもらってその中をキャンパーたちが出てきました。

ナツは元気でした。一番心配していた熱もでず、少し咳をしていただけでした。ナツの担当だったボランティアさんたちが、泣いて見送ってくれました。わたしたちの県のキャンプでは、キャンパーひとりに対してボランティアが担当を決めて2名ずつ付きます。去年も担当のお二人には丁寧にお礼を伝えて別れましたが、もうひとりスタッフの方がやってきて、

「このふたりがキャンプ中、ず~~~とナツちゃんのお世話をしたんですよ。本当にこの子たちナツちゃんのために一生懸命よくやってくれましたよ」と言われます。そしたらふたりのボランティアさんたち急にポロポロ涙をこぼされて…一体わたしどうリアクションしたらいいのかちょっと困ってしまいました。だってナツはもう4年生。ある程度のことは自分でできるし、注射も打てるし、そんなにお世話をかけてしまったなんて思えないんだけどな。

もちろん丁寧にお礼を言って、単純なわたしはもらい泣きしてしまいました^^;

そしていつか時間をとってお母さんともお話したいんですけど…と言われ、主治医の先生まで来られて、また電話をかけたいって言っているので話をしてやってくださいと。

もちろんOKしましたが、はてさてどんなことで話があるのやら…

車に乗ってからナツは眠るまで色々話をしてくれました。いつも打っているランタスを8単位から6単位に変えたこと、でも結局また8単位に戻したこと。注射を打つ部位を変えないといけないと言われて、泣きながら違う腕と違う足に打たされたこと。毎日野菜ジュースが出てきて、ゲェゲェ言いながら飲まされたこと。1600kcalの食事でご飯は毎回150gだったこと。インスリンの単位は毎回先生から指示されたこと…などなど。

疑問に思うことも色々あります。IDDMに食事制限は必要ないといわれながらもやはりキャンプではこうしてご飯を測って食べさせられます(もちろんキャンパーだけ)。注射も食べられないかもしれなくても食前に打たされます。色々試行錯誤しながら決めたランタスの単位も変えられていたり。野菜ジュースを無理にでも飲まないといけないのはなぜ?最後はお茶と交互に泣きながら飲んだんだよってこれが一番嫌な思い出になったようです。

この野菜ジュース、全部飲めたら、4人の人が拍手をしてくれて、半分しか飲めなかったら2人で拍手してくれるのだとか。最後の日には全部飲めたナツ。でも気が付いてくれなかったから拍手がなかったとぶーぶー言っていました>_<

そしてお友だちはというと、結局担当ボランティアさんといつも一緒に行動しているので、特に友だちっていないのです。同じ歳の4年生の子たち、名前も知らないで帰ってきました。わたし最初のキャンプの申込書の希望欄に歳の近いお友だちと同じ班や同じ部屋にしてやって欲しいってわざわざ書いたんですけど…

血糖値は、特に高くも低くもなくうまくコントロールされていました。300台が1回。それも308。二桁が2回。60台と80台。後は全部100台と200台。200台が多かったです。食事のカロリーを一定にすると、こんなにきちんとコントロールできるということなのかな。もちろん打つ単位を決めるのは全て先生方だそうです。何はともあれ無事に終わったサマーキャンプ、今年は無事に参加できただけでもよかったのです。写真も何枚かもらって帰っていました。後から現像に出す写真も楽しみです。

さてさて来年はどうする?って聞いたら、また行きたいとのこと。それまでに体力付けさせとかなくっちゃ。それに打つ単位、来年は自分で決めて打てますように…

さぁまた頑張りましょう^^

| | コメント (6) | トラックバック (0)

ナツがいない3日目

 今のところ何の連絡もない。やっと少し安心できました。今頃楽しんでいるのでしょうね。

プレキャンの時に、この5日間の連絡先をしつこいぐらいきちんと書かされました。

「必ず連絡のつくところ」を2箇所、書いてくださいと…で、どうしてかというと、何年か前に実際にあった話だそうです。低学年の子どもはよくホームシックにかかります。着いた最初の晩から泣き出します。どんなに慰めても夜通し泣いている子もいるとか…で、そんな時に電話口で家族の声を聞いて励まされると、案外けろっとするそうで、最期の手段は家族に電話…なんです。

ところがある家族、いくら電話してもつながらない、自宅の電話を書いていらしたようです。5日間とうとう連絡つかずで、お迎えに来られたときに、聞いてみたそうです。

「何度も電話をしていたんですけど、どこにおられたんですか?」って。そしたら「実は家族で旅行に行っていました。」という返事。これを聞いた時はちょっとびっくりしました。今と違って携帯がまだそんなに普及していなかった時代かもしれません。その事を説明されるとき、キャンプの総責任者のT先生。ちょっと声が怒っていました。

「キャンプ中は責任もって預かりますから、家族旅行だろうが、帰省だろうが、どこに行かれても結構ですが、連絡の付く番号だけはこちらに知らせておいて下さい」と。

連絡先が、○○ホテルとか△△旅館ではいけないと気がひけて自宅の番号しか書かれなかったのかも知れません。でもわたし、ナツがキャンプに行っている間に家族で旅行しようとは思いません。他に兄弟がいるのか夫婦だけなのか、親戚と出かけたのか…まぁそんなのどうでもいいのですが、ちょっと淋しい話です。

さて、ナツのいない3日目、わたしたち親子3人は、久々に実家へ。そして父の遺品を整理する作業にかかりました。先日ある週刊誌の記事に書かれていましたが、亡くなった人の部屋をそのままにしておく…これは結局残された物の慰めのためだけで、亡くなった人にとっては、ありがたくないそうです。それに父は施設のあの部屋にはそれほど愛着を持っていませんでした。暮らしたのも8ヶ月だけ。わたしたちにとっても、あの部屋での父の笑顔はほとんど記憶にありません。辛そうにしている姿しか脳裏に残っていません。

特に無理矢理退院してきてからはほとんどベッドの上の生活で、その頃ベッドサイドにおいていたワゴンに、お薬やらティッシュやら身の回りのものを乗せていました。そのワゴンを見るとあちこちにしみや汚れやらがついていて、どうしても胸が痛くなります。

部屋を片付けて、施設のほうに返すとまた別の方が入居して来れれます。そのほうが母にとってもいいように思いました。父はパソコンが好きでカメラが好きだったので、パソコン関係のもの、デジカメ、マニュアル本がいっぱいありました。プリンターやスキャナも我が家よりも進んでいます。歳がいってからも向上心のある人でした。わたしや姉で使えるものは分けました。そんなこんなで1日があっという間に過ぎていきます。

ナツは今頃何しているだろうなんて、あまり考える時間はないようです^^;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ナツがいない2日目

 ナツがいない2日目。何となく淋しいような、静かで嬉しいような変な気分です。サマーキャンプは今年が2年目ですが、昨年のサマーキャンプの時は、わたしの両親がダブルで入院していたため、しかもちょうど1年前のこの時期に父のガンを知らされたり…と、ナツのいない淋しさなんて感じている暇のない5日間でした。さて今年は…やっぱり父の事を思い出したりこれからの母の事を考えたりと、ナツのいない淋しさに浸っている時間はなさそうです。

ナツがいない間に、ナツが食べられないものを食べなきゃぁと思っていたのに、実際のところ、ナツが食べられないものって…ない。つまりそれぐらいわたしたちの食生活って普通なんだろうな。しいて言えば、チャーハン。昔はよく作っていたメニューなのに、発症以来、がたんと作る回数が減ったメニューです。そして久しぶりに作るとナツは嫌いになっていました。そんなわけで今朝の朝食、まずはチャーハンです。

昼食はその残りをわたしが食べて、ユウは納豆、主人は出かけていました。

夕食は、焼きうどん。本当はナツを送っていった日に夕食の支度をする時間がないだろうと思って前もってうどん4玉、買っていました。それを今日しようと思ったら、義母が夕食いらないと言って出かけていきました^^;

1玉だけ残っちゃうよ~~~。しかも消費期限は明日なのに…もう~~~>_<

そんなわけで今日は3人だけの食卓です。さすがにちょっと淋しい。

ところでこの焼きうどん、実はわたしは独身時代にはほとんど口にしたことがないメニューでした。焼き…とくれば、焼きそばでしょう。ところがここでは、焼きそばよりも焼きうどんを作ることのほうが多かったようで、主人の好物らしいです。で、しかたなく何度か作っているうちに、わたしも好きになりました。

ちなみに、我が家では焼きそばも焼きうどんもソース付きは買いません。粉末ソース付きの焼きそばはたいてい3人分で売っていて、我が家では中途半端。だから「焼きそばソース」(マヨネーズやケチャップのような容器に入っているやつ)を買っておいて、ウスターソースとオイスターソースと焼きそばソース、場合によってはとんかつソースを入れて味付けします。そのほうが少し経済的です。

いつもは焼きそばは豚肉を使い、焼きうどんは牛肉を使うのが定番なのに、今日は牛肉がなかったので、冷凍のイカで作りました。キャベツは、3日間ほど家を留守にしていた間に冷蔵庫の野菜室ですっかりしなびていました。でも焼いてしまえば一緒一緒^^;

でもなぜかいつもほど、食欲のないわたしでした。やっぱり淋しいのかな。112_1204

| | コメント (8) | トラックバック (0)

サマーキャンプに出発

 昨夕は39度2分まで熱が上がり、とうとう座薬を使って下げました。夜中も咳き込んで目を覚ますし、やっぱり1日遅れて参加させようか迷ったのですが、今朝は9時半まで眠っていたので、かなり疲れがとれたようです。しかし起きたら血糖は300ありました^^;

熱は37度2分、まだ平熱とはいかないけれど、まぁ元気です。予定通り参加させることにしました。わたしたちの県のサマーキャンプは県北部の公共施設(普段は小学校の自然学校に使われている)で行なわれます。それで、駅前に集合してバスで行ってもいいし、現地に直接行ってもいいのです。我が家からは、集合場所まで2時間はかかります。ちなみに午後1時集合です。現地だと有料道路を使えば1時間半で行きます。しかも集合は午後3時。迷わず現地集合を選びます。去年は昼食を食べて1時に家を出ましたが、今日は朝食を10時にとったナツ、12時に昼食なんて食べられません。なので12時半ごろ家を出て2時頃に途中で食べさせて現地に向かうことにしました。

昼食はラーメンを食べました。食欲もあるし血糖も少し高めだけど、まぁ何とかなるでしょう。現地に着くとちょうど3時。もう既に10名ほどのキャンパーやボランティアが集まっていました。主治医の先生も現地集合です。ナツの昨日からの状態を説明しました。111_1192

先生、ちょっと渋い顔、無理もありません。キャンプではIDDMの子(キャンパーと呼ぶ)ひとりに対して、スタッフが2名ずつ担当を決めて付いてくれます。このスタッフはみんな某大学医学部の学生ボランティアです。そして食事関係、補食関係は某女子大学の栄養学科の学生ボランティアの方がたがお世話してくれます。しかし肝心の医療スタッフが毎年、手薄だそうです。医師はナツの主治医の先生を入れて2、3名、看護師の方もそう多くはありません。なのでシックディのキャンパーがいるとその子に医療スタッフが一人かかりきりになってしまいます。とはいっても途中で体調を崩す子も出ます。毎年点滴のお世話になる子が何人かは出るそうです。

正直親はそれ以上に心配です。あと一日遅かったら問題なく参加できるのに…

そうこうしている間にバスが到着。ナツの担当の方々も降りてこられました。一応風邪の事を説明しました。みんな荷物を持って集合、簡単に説明があり、班毎にA班から順に宿舎の方へ上がっていきました。そうなのです。この施設、山あいに建てられているので階段がすごく多い。いつもこの長~~い階段を上がって入り口へ向かっていきます。

111_1194 去年もそうですが、ナツはこっちを振り向きもせず、さっさと行ってしまいました。果たして5日後ナツはどんな笑顔で戻ってきてくれるのでしょう。2年目だから安心…と思っていたのに、今年は風邪のせいで去年よりも不安な5日間を過ごさなくてはなりません。こうして親っていつもいつも心配しながら待っていないといけない、そういうものなんでしょうね。111_1197

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダウン。。。

 やっぱりダウンしました。この間からの慣れないことや疲れ、そしてこの暑さ。何でこんな暑い時に亡くなっちゃったのよ~~>_<  と、父を恨みたくなります。で、ナツとユウがダウンしてしまいました。わたし、、、は今のところ、何とか日常生活を取り戻しつつあります。母のところには、叔母が日曜日の夕方まで泊まってくれました。姉もあれからずっと泊まってくれています。そんなわけで、わたしは葬儀の後、2回ほど片づけを手伝いに行きました。初七日は、お寺で簡単に済ませ、みんなでお昼を食べました。これでしばらく実家の方へは行かなくてもいいんだと思ったら、急にドッと疲れが出てきました。

思えば父の緊急入院の7日以来、毎日実家に通っていました。再入院の後は、病院と母のところへ、夏休みに入ってからは子どもたちを連れて、、、皮肉なことですが父が亡くなってやっとわたしはこの日常から解放されました。でも姉が大阪に帰ってしまうと、また母のことが気がかりで実家のほうに通わなければなりません。今しかゆっくりすることができないのに、そんな時に限って、まずナツが月曜日の夕方から発熱。その割に血糖は上がりません。ウイルスの風邪というより、疲れが出たせいかなと思い、しんどそうなときだけ解熱剤を使い様子をみました。

火曜日、朝食も少ししか食べられずインスリンは少なめに、でもお昼は普通にそうめんを食べました。病院に連れて行くべきか迷ったのですが、金曜日からサマーキャンプです。今軽い風邪で病院へ行って、かえってこわいウイルスをもらってきてしまったら、キャンプには行けなくなってしまいます。そして夕食、一口も食べることができません。Qは打ちませんでした。100台前半をキープしつつ、夜になりました。ランタスだけはいつもどおり8単位打ちました。夜中も気になって測りましたが、140でした。

ところが今朝になっても熱は下がらず、朝の血糖は46です。何とか玉子豆腐とプリン(変な組み合わせ)を食べさせて、でもこわいのでインスリンは打たず、主治医のいる市民病院に連絡しました。今日の午後は内分泌専門外来の日です。その時間に診てもらえたら、待ち時間もそんなにはかかりません。ところが夏休みとあって、専門外来は予約でいっぱいだそう。今なら外来もすいていますので、今から連れてきてくださいと言われて、9時半に行きました。確かにいつもほどではなかったのですが、呼ばれたのは11時前でした。

「何も食べられないと言うのでインスリンは昨日の夕食時も今朝も打っていないんです。」

「ええっ昨日からインスリン全然打っていないの?」

「あっランタスは打ちました。Qは打ちたくても低くて打ったら下がってしまうので打てないんです。」

ナツは発症以来、風邪もインフルエンザも経験済み、シックディの対応はわかっていたつもりでした。いつもなら食べなくても血糖が上がるので普通に打っていました。でも今回は少し違っています。全然血糖が上がらないのです。無理矢理食べさせるより、食べた分だけ打てばいいのかなと思っていました。だから食べないのなら、基礎のランタスだけで十分かと…

念のため、尿検査、血液検査をしました。結果が出るまで1時間かかるので、一度家に帰り、早めの昼食を食べてまた病院に戻りました。昼食と言っても準備する時間もないので、コンビニのおにぎりと唐揚げです。ナツも少し食べることができて2単位だけ打ちました。

検査の結果、尿にケトンが出ていました。

主治医の説明はこう、「とにかく少しずつでも糖質のあるもの、ブドウ糖やジュースをとってインスリンを体内に入れていかないとケトンが出てしまう。食べた分だけ食べたときに少しずつ打っていく、そうしないと、ケトンが出て頭痛、腹痛、吐き気になり、もっと食べられなくなってしまう。まずインスリンを打ってケトンを早く消してやることが回復を早めるから、それがどうしてもできないと点滴をするしかない」

他には特に異常はなく、夏風邪との診断で、3日ぐらいすると熱も下がるでしょうと言われました。まずは安心です。そしてひとつ勉強になりました。午後は、ジュース、アイスをとにかく少しずつ食べさせて、その都度、1.5~2単位を打ちました。午後だけで4回打ちました。これでケトンも消えたかな。

しかし、これだけでは済まないのです。夕方4時、ユウが急にしんどいと言って泣き出しました。それまで友だちふたりを機嫌よく遊んでいたのに、、、触ると熱い。熱が38度4分ありました。もう少し早くわかっていたら、ナツと一緒に連れて行ったのに…

仕方がないのでいつも診てもらう近所の個人医院の先生のところへ連れて行きました。ここは、驚くほどすいていてすぐに診てもらえて、薬をもらって帰りました。やはり夏風邪の診断です。でもふたりとも熱の割には喉はそんなに腫れていないそうで、やはり先週の疲れがドッと出てきたのでしょう。

夕食は、ふたりの食べられるもの…そうカレーライスです。どんなに食欲がなくてもこれだけは食べられるのです。まだまだ母は、ゆっくりすることができそうにありません^^;

| | コメント (8) | トラックバック (0)

8月4日のこと

 お通夜とはいえ、かなり眠ることができました。遅くまではしゃいでいたナツとユウは8時過ぎまで寝ていました。朝食は会館の方で予約をしておけば用意してくれます。和食のバイキングでした。ここにきて少しナツの食欲が落ちました。寝不足になってきているようです。当然打つ単位に困ります。少なめに…少なめに…。

9時前から、わたしと母と姉は喪服に着付けてもらいます。子どもたちは退屈なのでまたお風呂に入っています。開式は10時45分、わたしたち親族が式場に入るのが10時の予定です。10時前に測定させると160でした。何か少しでも食べておくほうが安心なのですが、正直もうそこまで頭が働かないのです。式場はクーラーがよくきいていて、ナツはしきりに寒がります。念のため読経の続く中で、ブドウ糖を補食させました。インスリンや補食を入れたかばんは、いつもどおりリュックにして背負わせました。こういう時は、いつも大きなかばんに何でも詰め込んで持ち歩いているわたしはすごく不安です。

滞りなく式も終わり、斎場へと向かいます。実はこのときに、集まったお香典をどうするかということで、結局ナツのインスリンのリュックにできるだけコンパクトにして詰めて持たせてもらうことにしました。会館のほうでは一切預かってくれません。親戚の誰かに頼むということも普通はしないようです。もし事故があった時に困るからと…かといってわたしたち親族が持つと目立ちすぎるし、他に位牌やら写真やら持つ物があって持つことができません。それでナツのインスリンのかばんの事を説明して、その中に入れてもらうと絶対に置き忘れることもないし怪しまれることもないので、そうしてもらうことにしました。

斎場に着くと、12時半。ここで骨上げまでの約2時間、親戚の方たちに寿司折を配って、控え室でみんなで昼食をとります。わたしと姉と母は、喪服から服に着替えるため、席をはずしました。ナツのインスリンのことは主人に頼みました。この時の食前の血糖が70でした。またしても二桁。やっぱり葬儀の最中とはいえ、補食は正解でした。そしてまたもインスリンの単位に悩みます。でも本当にこの3日間、こんな状況の中で今思うと素晴らしいコントロールができました。亡くなった父がナツの事を見守っていってくれている。そう思うようにしています。

そうそう、わたしの携帯電話が父が亡くなって、その連絡をみんなにした後で突然、壊れてしまいました。うんともすんとも言いません。落としたわけでも水にぬらしたわけでもなく、まだ買い換えて1年も経っていないというのに…実は主人は通信関係の会社に勤めています。色々調べてくれましたが、原因はわかりません。仕方がなく今は修理に出しています。いつもいつも病院からの電話、学校からの電話を気にして、もち続けていた携帯。まるで役目が終わったからもういいでしょうって言っているかのようです。

父はこうして、小さな小さな遺骨になって、今は母の部屋でおまつりしています。施設の中なので十分なことはできません。法事もお寺で家族だけで済ませていくつもりです。事情は父が一番よくわかってくれていると思います。後は残された母が少しずつ、これからの生活や楽しみを考えていってくれたら…そう思いながら、大変だった3日間が終わりました。

父の入院から本当にあわただしい毎日でした。でも、父が無理矢理退院して帰ってきたことも、また入院したことも、今思うと正解でした。一番いい選択だったと思います。車椅子で入院した父は、そのままベッドに横になって、結局最期までスリッパを履くことはなく、ベッドの上だけの1週間でした。入院中の父の様子は詳しくはわかりません。ただ暴言を吐いて、無理に退院したにもかかわらず、看護師さんたちはとても親切にしてくださったようです。父が亡くなったときに泣いてくださった看護師さんもおられます。最初は何やかやあった主治医の先生ですが、最期には本当によくしていただいたと感謝しています。

そして最後まで付き合って読んでくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。

明日からはまた楽しいブログをつづっていけるよう、頑張っていきます。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

8月3日のこと

 この1年、朝目が覚めると、今日は外来に行く日だとか、今日は実家に行く日だとか、今日は行かなくていい日だったとか、真っ先に頭に浮かぶのは、実家がらみの予定。そして今日も疲れているはずなのに、5時半頃目が覚めて、「そうだ、お父さんは亡くなったんだ」って思いました。そして今夜はお通夜なんだって。

午前中のわたしたちの仕事、父の貯金をおろすこと。父が余命を宣告されてから、少しずつ父名義の預貯金の整理をしていました。これに関してはうわさは色々で、亡くなったらすぐに預金が下ろせなくなるとか、国に全部とられるとか、相続税がかかるとか…はっきりしたことがわからないまま、どっちにしても引き落としや振込みのある口座は解約できないので、そのままにしていました。そして昨日会館の人がおっしゃるには、死亡届を3日の午後、市役所に届けます。そうすると預貯金の解約や引き出しが全て止められるので、午前中なら間に合いますとのことでした。なのでわたしたちは、父の施設の部屋に行って、印鑑と身元証明になるものを持って、郵便局へ向かいました。

父の部屋はそのままでした。ベッドもテーブルも全てそのままでした。とうとうここに戻って来れなかった父の悔しさを思うとまた涙が出そうになります。でも泣いている暇もなく、今日は色々予定が詰まっています。午後1時から、いよいよ父の身体を洗ってもらい、納棺です。それに間に合うように昼食を済ませ会館へ向かいます。

わたしは祖父や祖母の葬儀を経験していますが、その頃は自宅で行なっていました。だからこういう会館でのお通夜や葬儀は初めての経験です。会館の部屋は本当に広くてここで寝泊りできるように、お風呂、トイレ、洗面所、更衣室、ベッドルーム、応接セットがあり、まるで旅館の特別室のようです。10名分の布団も用意されています。ナツとユウはこの部屋を気に入って、はしゃぎまわっています。ベッドルームはまるで、ホテルのスイートルームのようにふかふかのベッド。まるで旅行気分です。そもそも家以外の場所で寝る。それだけでも嬉しくてたまらないのですから…

そして時々父の遺体を覗きに行ったりお線香を上げたり、そうこうしているうちにお通夜の時間になり、弔問の親戚も次々に来られました。お通夜は短い時間なので、始まる前に測定して、何も持たずに参列させました。無事お通夜も終わり、食事です。オードブルやお寿司がずらっと並べられたテーブルにまた興奮。

「お母さん、マグロのお寿司がいっぱいあったよ。エビフライがあったよ。」という具合。

この時は、一体ナツがどれぐらい食べたのか、どこでインスリンを打ったのか全く覚えていません。泊まっていただける親戚以外の方々が帰られると、今度はお風呂に入りたいと言って主人に用意してもらい2人でしばらくお風呂場で遊んでいました。

不思議とこの3日間、特別高い血糖値を出さずに、過ごしていました。アイスやおやつを食べる時間がなかったせいでしょう。代りに低い値はよく出しました。この前の外来でインスリンを減らしましょうってあんなに言われていたのに…また怒られるよ~。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

8月2日のこと

 前夜からわたしはナツとユウと一緒に病院に泊まりこんでいました。心電モニターは、音が気になって眠れないだろうと画面を切ってくれました。もちろんナースステーションではずっとチェックしてもらっています。こうして病院の簡易ベッドに横になっていると、2年前の秋、ナツがIDDMを発症して入院した時のことがよみがえってきます。この時もわたしはこうして病室のナツのベッドの横で2週間泊り込みました。だから不思議と緊張感がなくて、むしろ自宅で携帯を枕元において眠ったこの1週間(父はちょうど1週間前に入院しました)よりも安心して眠ることができました。もちろん何度も目が覚めては父の様子を覗き込みながら…ですが。夜間はこれといった変化もなく無事に夜が明けました。

5時になってカーテンを開けると空がもう白んでいたので、母を呼ぶことにしました。病室で母にも十分に父と話す時間がとれて、やっとわたしは自分の役目を無事に終えたかなと思いました。6時過ぎ、特に異変もないので、近くのコンビニでおにぎりやサンドイッチを買って病室で食べました。起きてきたふたりもここで朝食です。こんなときでもナツは普通に血糖を測り、きちんと朝食をとり、そしてインスリンを打つ。もちろんナツがほとんどの事をひとりでできるから、いいのです。一体血糖がどれぐらいだったのか、何単位打たせたのか全く覚えていません。この日から3日間、血糖測定表もブランクです。でもとにかくこういう時だから、高めにコントロールさせないと…それだけは考えていました。

7時ごろ、父の呼吸が苦しそうになりました。肩で息をするようになりました。10時ごろ、痛そうに顔をしかめることがあったので、看護師さんに痛み止めのモルヒネを入れてもらえないかと尋ねました。前夜の7時でモルヒネの点滴は切られました。もちろん体内に残っているのですぐに痛み出すことはないにしても既に12時間がたっています。痛がらないのがかえって不思議なのです。病棟リーダーの看護師さんが来られました。

「もうすぐ心臓が止まるんです。もうモルヒネは必要ないんですよ」と言って、心電モニターをつけてくれました。そこには前夜の心拍の動きとは全く違う不規則な心拍の波、鳴りっぱなしのアラーム。素人のわたしたちがみても、これから起こることは想像がつきます。この波形が一直線になる、そしたら父はこの苦しみや今までの痛みから解放される。正直ホッとしたのです。少しでも早く楽にしてあげたい…心の底からそう思いました。

でも看護師さんの予想をはるかに上回って、父は頑張りました。お陰で11時に着いた姉も、午後に着いた主人も間に合うことができました。午前中外来だった主治医の先生も午後には病室に顔を出してくれました。看護長さん、内科部長さん、それぞれの方が病室を覗いてくださいました。そして午後3時44分、父は息を引き取りました。

「よく頑張られました。」主治医の先生が言われました。

部屋を出されたわたしたちは、階段の踊り場で会館やお寺、親戚の人たちに連絡をとりました。そして1時間後、会館の車に迎えに来てもらい、病院を後にしました。1週間前には、少しでも元気になってもう一度帰ってくることを望んで入院しましたが、とうとう父は自分の足で病院を出ることはありませんでした。父が病院で亡くなった場合に父の遺体を一度施設の部屋に連れて帰るかどうか、随分悩みましたが、父は自分の家と違い、施設には愛着を持っていませんでした。なのでそのまま会館に運んでそこの部屋でお悔やみを受けることにしました。

前夜からずっと狭い病室でこもりきりだったナツとユウはやっと出ることができてはしゃいでいます。わかっているのか、わかっていないのか、それとも十分すぎるぐらい覚悟ができていたからか、子どもたちには動揺はありませんでした。次々と親戚の方が駆けつけてこられます。それと平行して葬儀の打ち合わせが山ほどあります。気がつけば8時を過ぎていました。とりあえず主人と子どもたちだけ近くのファミレスで夕食をとりました。

そして気がつけば9時過ぎ、親戚の方はまだいましたが、わたしたちは帰ることにしました。今夜は母と姉がこの会館の部屋に泊まることになっています。思えばわたしと子どもたちは、昨日からお風呂にも入らず、歯も磨かず食事はコンビニのおにぎりばかりでした。しかもランタス、今日は忘れるところでした。

「ナツ、ランタス打つ時間やん、ここで打ってから帰ろうか」

こんな時、ナツがどこでも注射ができるということは本当に助かります。5、6名の親戚の人たちを前に涼しい顔で足にランタスを打ちます。いつかはこの日がくることを考えて、親戚のおばやおじにも、ナツのIDDMのことは少しずつ機会があれば話しています。みんな黙って見守ってくれます。

「これが最新式のインスリンなのよ」と、わたしも自然に言います。

この日、自宅に帰ったのは10時過ぎでした。長い長い1日が終わりました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

8月1日のこと

 7月26日入院した父は、1日1日弱っていきました。おそらくわたしたち家族と普通に会話ができたのは今思えば30日の日曜日まででした。この日はナツのプレキャンの日だったので、4人で病院を訪れ、ナツと主人とユウがプレキャンにいった後、しばらく付き添ってやれました。午後からは姉夫婦が母を連れてきてくれました。

31日はナツたちの町水泳がなかったので、朝から母のところへ行って、昼食をとってから母を連れて病院へ行きました。この日から父のモルヒネの痛み止めが貼り薬から点滴に換わりました。これで痛みが出た時も薬を飲まないで点滴の速度をあげることで痛みを可能な限り押さえることができます。が、これで父の一時退院や外泊の可能性がなくなってしまうということです。痛みがコントロールしやすくなったはずなのに、父は激しく痛みを訴えます。目を覚ますと痛みに苦しんでいます。そんな状態で話もできずに帰りました。

消化器系の末期ガンの場合、辛いのが痛みと吐き気。何も口にしていないのに、胃や腸で分泌される消化液が下に下りないで、上がってくるからです。そしてその消化液の分泌を抑えるホルモンを皮下持続注で体内に入れることが昨年から保険適用になったということで、主治医の先生からその治療法の提案がありました。多くの患者さんで効果があり吐き気がおさまるようです。ただ身体に付く針やチューブがまた1本増えてしまいます。

火曜日は、午後からわたしとナツだけで病院に行きました。その皮下持続注が早速取り付けられていました。なんとそれはニプロのインスリンポンプでした。(中身はインスリンではないホルモンですが)まさかここでインスリンポンプに出会えるなんて思ってもいませんでした。IDDMの方たちのポンプとは多分違うとは思います。大きいし重かったです。父の場合、お腹に針を刺して、ベッドの上にポンプを置いていました。でも看護師さんの話では、このポンプにも一応携帯用のポシェットのようなものがついているのだとか…

このポンプのお陰で吐き気はかなりおさまったようです。でも父の様子は昨日とは打って変わって悪くなっていました。目に光がない。わたしたちがわからない。そのかわり痛がったり苦しがったりはしていませんが、正直あまりにも変わり果てた父の姿に涙が止まらないのです。1時間ほどいましたが、看護師さんが体位を変えたときだけ痛みを訴え、正気に返ったようで、その5分ぐらいの間しか話ができませんでした。それ以外の時間、それはまるで父ではない。そう思いました。

パジャマにびっしょり汗をかいていました。それなのに指の先が真っ白で冷たい。看護師さんが悪い汗やね…とつぶやいていました。今思うと危篤の前兆でした。

そして夕食を終えた7時過ぎ。担当の看護師さんから電話。夕方から吐血が始まったこと。酸素濃度が下がったことを聞かされました。今夜が危ないかもしれませんと…

とにかく今から病院に行きますと答えると、今すぐにどうこうはないですが、何とも言えません。あわてないで病院に来てくださいと言われました。

すぐに母と姉には連絡しました。最後には病院に泊まるといっていた母ですが、意外にもこのことを話しても「でも病院には行けないわ」という返事。後からわかったことですが、実は母はこの時のわたしの電話はほとんど覚えていません。寝ぼけていたようです。仕方がないので、わたしが泊まる準備をして病院へ向かいました。そしてどうしてもついていくといって聞かないナツとユウ。やむをえず3人で病院へ向かいました。

父の病室に入ると、お昼よりもさらにものものしい雰囲気でした。酸素チューブが付けられ、心電モニターが動いていました。主治医の先生の話では、夕方からの嘔吐は、今までとは違い吐血です、つまり腸管に穴が開き、腹腔内に出血してそれを吐血していると。そして酸素濃度も落ちて呼吸が苦しいので、モルヒネを7時に止めました。今モルヒネを入れると呼吸を抑制してしまうから、もし痛みが出てきたらいつでも再開します…と。

そしてこんな時でも隣に座っているナツが、「お母さん、下がった…」

測ると42。ナツはこの病院で低血糖を出す事が本当に多くて、看護師さんもほとんどの方がナツの病気の事を知っています。主治医の先生まで「大丈夫?」って言ってくれました。

問題は母を病院に来させるタイミングです。今から来て夜通し起きているとおそらく後々のことができなくなってしまいます。わたしはこの時、今夜は何とかもつだろうと思いました。もし仮に2時や3時に急変してもその時呼べばいい。そう判断しました。

「子どもさんは、どうするの。お父さんは会社?」と看護師さんに聞かれて、ナツのIDDMの事情を話しました。主人は明日、どうしても午前中だけは会社に出ないといけないといっていました。もしナツを今夜家に返したら、父が亡くなった時にナツを連れてくる時間がなくなってしまう。それがいつになるのか全くわからなければ、ナツをわたしのそばにおいておくことが一番安心だから。

ベッドを1台いれてもらって、結局2台の簡易ベッドに3人で寝ました。もうランタスを打つ時間になっていました。わたしはすっかり忘れていたけれど、ナツが覚えていて自分で打ちました。父はモルヒネを切ったせいでお昼よりも若干意識がしっかりしていました。でもこちらの言うことに反応したりうなずいたりする程度で、父のほうからの言葉はほとんど聞き取れません。今思ってもこのとき一体どんなことを話したのか、不思議とほとんど覚えていないのです。そしてそんな父のそばでわたしもうとうとしていました。

ナツが父の手を握ったり、額の汗を拭いたりしながら、かなり遅くまで起きていました。ユウは熟睡していました。気がつくと日付が変わっていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父の旅立ち

 先日、8月2日、午後3時44分、父が入院先の病院で亡くなりました。享年76歳でした。前日の夜からわたしは、ナツとユウを連れて病院に泊り込みました。最後のお別れが十分にできたことが何よりでした。父の旅立ちのこと、その時ナツは…そんな中でのインスリン生活、本当にめまぐるしく、今日が何曜日、何日?という感じの中にいます。

父の事を忘れたくないから、少し落ち着いたら今回のことを少しずつ書き止めていこうと思います。

いつもブログを訪れたくださった皆様、暗い話題で申し訳ないのですが、読んでいただけたら嬉しいです。

今夜がお通夜です。では…また後ほど。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »