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8月1日のこと

 7月26日入院した父は、1日1日弱っていきました。おそらくわたしたち家族と普通に会話ができたのは今思えば30日の日曜日まででした。この日はナツのプレキャンの日だったので、4人で病院を訪れ、ナツと主人とユウがプレキャンにいった後、しばらく付き添ってやれました。午後からは姉夫婦が母を連れてきてくれました。

31日はナツたちの町水泳がなかったので、朝から母のところへ行って、昼食をとってから母を連れて病院へ行きました。この日から父のモルヒネの痛み止めが貼り薬から点滴に換わりました。これで痛みが出た時も薬を飲まないで点滴の速度をあげることで痛みを可能な限り押さえることができます。が、これで父の一時退院や外泊の可能性がなくなってしまうということです。痛みがコントロールしやすくなったはずなのに、父は激しく痛みを訴えます。目を覚ますと痛みに苦しんでいます。そんな状態で話もできずに帰りました。

消化器系の末期ガンの場合、辛いのが痛みと吐き気。何も口にしていないのに、胃や腸で分泌される消化液が下に下りないで、上がってくるからです。そしてその消化液の分泌を抑えるホルモンを皮下持続注で体内に入れることが昨年から保険適用になったということで、主治医の先生からその治療法の提案がありました。多くの患者さんで効果があり吐き気がおさまるようです。ただ身体に付く針やチューブがまた1本増えてしまいます。

火曜日は、午後からわたしとナツだけで病院に行きました。その皮下持続注が早速取り付けられていました。なんとそれはニプロのインスリンポンプでした。(中身はインスリンではないホルモンですが)まさかここでインスリンポンプに出会えるなんて思ってもいませんでした。IDDMの方たちのポンプとは多分違うとは思います。大きいし重かったです。父の場合、お腹に針を刺して、ベッドの上にポンプを置いていました。でも看護師さんの話では、このポンプにも一応携帯用のポシェットのようなものがついているのだとか…

このポンプのお陰で吐き気はかなりおさまったようです。でも父の様子は昨日とは打って変わって悪くなっていました。目に光がない。わたしたちがわからない。そのかわり痛がったり苦しがったりはしていませんが、正直あまりにも変わり果てた父の姿に涙が止まらないのです。1時間ほどいましたが、看護師さんが体位を変えたときだけ痛みを訴え、正気に返ったようで、その5分ぐらいの間しか話ができませんでした。それ以外の時間、それはまるで父ではない。そう思いました。

パジャマにびっしょり汗をかいていました。それなのに指の先が真っ白で冷たい。看護師さんが悪い汗やね…とつぶやいていました。今思うと危篤の前兆でした。

そして夕食を終えた7時過ぎ。担当の看護師さんから電話。夕方から吐血が始まったこと。酸素濃度が下がったことを聞かされました。今夜が危ないかもしれませんと…

とにかく今から病院に行きますと答えると、今すぐにどうこうはないですが、何とも言えません。あわてないで病院に来てくださいと言われました。

すぐに母と姉には連絡しました。最後には病院に泊まるといっていた母ですが、意外にもこのことを話しても「でも病院には行けないわ」という返事。後からわかったことですが、実は母はこの時のわたしの電話はほとんど覚えていません。寝ぼけていたようです。仕方がないので、わたしが泊まる準備をして病院へ向かいました。そしてどうしてもついていくといって聞かないナツとユウ。やむをえず3人で病院へ向かいました。

父の病室に入ると、お昼よりもさらにものものしい雰囲気でした。酸素チューブが付けられ、心電モニターが動いていました。主治医の先生の話では、夕方からの嘔吐は、今までとは違い吐血です、つまり腸管に穴が開き、腹腔内に出血してそれを吐血していると。そして酸素濃度も落ちて呼吸が苦しいので、モルヒネを7時に止めました。今モルヒネを入れると呼吸を抑制してしまうから、もし痛みが出てきたらいつでも再開します…と。

そしてこんな時でも隣に座っているナツが、「お母さん、下がった…」

測ると42。ナツはこの病院で低血糖を出す事が本当に多くて、看護師さんもほとんどの方がナツの病気の事を知っています。主治医の先生まで「大丈夫?」って言ってくれました。

問題は母を病院に来させるタイミングです。今から来て夜通し起きているとおそらく後々のことができなくなってしまいます。わたしはこの時、今夜は何とかもつだろうと思いました。もし仮に2時や3時に急変してもその時呼べばいい。そう判断しました。

「子どもさんは、どうするの。お父さんは会社?」と看護師さんに聞かれて、ナツのIDDMの事情を話しました。主人は明日、どうしても午前中だけは会社に出ないといけないといっていました。もしナツを今夜家に返したら、父が亡くなった時にナツを連れてくる時間がなくなってしまう。それがいつになるのか全くわからなければ、ナツをわたしのそばにおいておくことが一番安心だから。

ベッドを1台いれてもらって、結局2台の簡易ベッドに3人で寝ました。もうランタスを打つ時間になっていました。わたしはすっかり忘れていたけれど、ナツが覚えていて自分で打ちました。父はモルヒネを切ったせいでお昼よりも若干意識がしっかりしていました。でもこちらの言うことに反応したりうなずいたりする程度で、父のほうからの言葉はほとんど聞き取れません。今思ってもこのとき一体どんなことを話したのか、不思議とほとんど覚えていないのです。そしてそんな父のそばでわたしもうとうとしていました。

ナツが父の手を握ったり、額の汗を拭いたりしながら、かなり遅くまで起きていました。ユウは熟睡していました。気がつくと日付が変わっていました。

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