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初命日(ひはじめ)

 「初命日」と書いて、ひはじめと読むそうです。今日がそれでした。1ヶ月前の今日、父が亡くなった日です。早いものでもう1ヶ月が過ぎました。このひはじめにお寺に行って法要を行なうのは、わたしたちの地域だけだそうです。今日は一日中、1ヶ月前の今頃は…って思い出しながら、過ごしていました。

今でも時々母は言います。「お父さんはどうしてあんな病気になってしまったんだろう」って。父の死因は直腸ガンですが、その中でも性質の悪いガンで正式な名前は「Signetringshellガン」という名前でした(スペルは確かではないかも知れません)。このガン、主治医の先生の話では10年ぐらい前にひとつのガン細胞が発生し、それが10年の歳月の中で、気づかれず少しずつ大きくなって、そして直腸の閉塞という症状になって発見されたのだと。この病気がわかったのは昨年の8月16日でした。

しかし父はその3ヶ月前の5月終わりに、同じ病院で下部内視鏡の検査を受けていました。でも異常なしで終わったのです。その後すぐにひどい便秘に悩まされ、内科に入院しました。どんな下剤も全く効果なく、痛みで食事も採れなくなってしまったのです。7月19日でした。その時の入院計画書には病名、「便秘」。入院予定期間、「1週間(?)」と書かれていました。わたしたちもたかが便秘と甘く考えていました。すぐに退院できると…。

でも入院してどんな薬や治療方法を試みても、改善しません。それどころか出ない、食べられないで段々体力も消耗していきました。絶食で毎日点滴。でも検査はほんの3ヶ月前に受けているので、先生方もガンを全く疑っていなかったのです。8月の10日頃になって、もう内科的治療では無理ということで、同じ病院の外科の診察に廻されました。そこで、手術が決まり、人工肛門をつけることになり、8月16日転科、19日に手術と決まりました。手術の詳細を決めるために、再び内視鏡の検査を受けその時に細胞診を行いその結果、ガン細胞が見つかったのです。その事がわかったのは8月16日。最初に内科に入院にして既に1ヶ月が過ぎていました。

主治医から手術の説明がありますからと呼ばれて、初めてその事を聞かされた時は頭の中が真っ白になりました。先生に、どうして3ヶ月前の検査では発見できなかったのですかと詰め寄りました。このタイプのガンが直腸にできることは、非常に珍しく、内視鏡では発見できないタイプのガンなんですと説明を受けました。通常、胃にできてそれが転移して腸にできることはよくあるようです。その場合は胃の検査で発見されます。父の場合も急遽、胃の検査も受けたそうですが、胃には異常がなく直腸が原発でした。「非常に珍しい症例です」と何度も言われました。

実際に8月19日に手術が行われました。そのガンを取り除く予定でした。でも、予想よりも広がりが大きく骨盤に癒着がありました。それをはがすのは大出血の危険が大きくて手が付けられない状況でした。ガン細胞はそのままに、人工肛門を造っただけで手術は終わりました。予定時間よりもはるかに早く終わりました。

父にはしばらくして少し回復してから、この事実が告げられました。ただ、広がりすぎていて手が付けられないとは言わないで、予想より大きかったので今無理に剥がして取るより、抗がん剤で少しガンを小さくしてから取ることになりました、と主治医の先生からうまく説明していただきました。わたしたちには、本当に辛い日々でした。毎年、健康診断を受け、何か異常を感じたらすぐに検査も受けていたのに、こんな状態になってしまったこと、入院から1ヶ月、その間にもガンが大きくなっていたのでは、そして無駄な1ヶ月を過ごしたこと、急なガンの告知、それも手遅れだという、どうして?という思い。過ぎたことを考えても仕方がない、これからどうしたらいいのという不安。

この頃、母は別の病院に入院していました。いろいろなことがストレスになって、内科にいた頃付き添っていたことで、すっかり体調を崩し、1週間ほど入院していました。だから父の病状も手術の結果も母には随分後になってから知らせることになりました。そんな状況でとにかくわたしがしっかりしないと…そればかりを自分に言い聞かせた毎日でした。今思っても胸が痛くなります。

父が亡くなってから1ヶ月、少しずつですがこうした辛い記憶が薄れていくことに気がつきました。実際に忘れていかなければ辛すぎて毎日泣いてばかりいても仕方がありません。でもそんな中で楽しかった思い出は忘れないで心に留めておきたいなぁとも思います。

人の記憶の中でこれは忘れ去りたい、このことはいつまでも覚えておきたい、そういうふるいがあるといいのにな…そんな都合のいい事を考えながら、帰路につきました。

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「父のこと」カテゴリの記事

コメント

今日退院しました。心配していた髄膜炎の心配もなく本当によかったです。入院中なっちゃんママにメールいただいて嬉しかったです。ありがとう
元気が1番だと本当に思います。今回の入院はとっても疲れたぁ~~

お父様が亡くなられて早1ヶ月が経つのですね。
ついこの間の様な気がするのですが・・・・
内視鏡の検査を受けたのに異常が見つからない事もあるのですね。ずっとなっちゃんママのブログ読ませてもらってていつもいつも前へ前へと進んでいましたよね。色んな事があったよね。良い思い出ばかり残るから人はきっと色んな事を乗り越えていけるんだよね。きっと。そして強くなれるんだろうね~!これからはお父様もなっちゃんとママの事ず~っと見守ってくれてるよ^^

投稿: なつき | 2006年9月 3日 (日) 16時23分

こんにちは。 もうひと月たつのですね。 時の流れは思ったより早いです。
私の父ももうすぐ亡くなって8ヶ月経ちます。
今でも思い出すのは、亡くなる2日前に空港まで見送ってくれて、
「気をつけて過ごすんだよ!」と笑顔で手を振っていたこと。この「気をつけるんだよ」は父の口癖でいつでも言うので、「はい、はい」って感じで聞いていました。
そんな言葉でももう何ヶ月も聞けないと、ホントにいないんだなぁって思います。

私は、運命というものは逃れられないのかなぁって思ってます。人が亡くなることも病気になってしまうことも、きっと意味があって、避けることは難しいのじゃないか。 反対に避けられたとしても、それは気がつかないだけで、感謝すらしていない。
お父様が、なっちゃんママさん達に与えてきたこと。きっといつか幸せとなっていい思い出が胸の中に残ることでしょうね。
遠い空から、私もお祈りします!

投稿: nao | 2006年9月 3日 (日) 16時49分

なつきさんへ☆退院おめでとう、2学期そうそう休むのはつらいですもんね。
ほんとに元気と健康が一番です。
早いような遅いような1ヶ月でした。以前何かの本で読んだんですが、亡くなった人は守護霊になって生きている人の事を守ってくれるという話を、結構信じているんです。
昏睡状態の父の耳元でわたしがお願いしたのはナツのこと、「ナツを守ってやってね、困っていたら助けてやってね」って。ナツは多分人よりちょっと多難な人生を歩んでいかないといけないから、でも、おじいちゃんが守ってくれたら安心。来月から、毎月2日にはお墓参りにいこうと思っています。今日は一日中だらだらとお昼寝ばかりしていました。
今までの疲れが出てきているのかな、なつきさんも暑い中、付き添い疲れが出ませんように、しばらくゆっくりしてくださいね。

投稿: なっちゃんママ | 2006年9月 3日 (日) 19時00分

naoさんへ☆naoさんのお父様は急だったのですね。色々な別れがあるけれど、わたしたちのように1年前からわかっていてまるでカウントダウンしているかのような日々。どちらも辛いものですね。
運命ってあるんだろうなってほんとに思いました。父がこんな病気になったのもわたしが、その父を看病することになったのも神様が何かを教えるためにされているんだろうなって思いながら、この1年間頑張ってきました。
それがなんだったのかはまだわからないけれど、きっと将来、こんな1年間にも感謝できるときが来るのかな、ナツやユウの心にも何かが残るかな。
しかし、身体はきついです。明日から子どもたちがいない間、少しのんびりしたいです^^;

投稿: なっちゃんママ | 2006年9月 3日 (日) 19時09分

 お亡くなりになって、1ヶ月になるのですねー。
 私の父も癌で亡くなったので、今までコメントが怖くて出来ませんでした。父は、私が小6の時に42歳で亡くなりました。(調度、娘と同じ年なんだなーって今、思いました)
 東京がんセンターで、最初のオペに来ていればと言われたと母が言っていたので、都会に住んでいたら、今の医学だったら、治っていたかもしれません。
 今でも父と撮った家族写真を飾っています。
 写真を見るとその頃の楽しい思い出が、思い出されますよ。
 写真を大切にしてくださいね。
 
 
 

投稿: こじこじのぶかぶか | 2006年9月 4日 (月) 21時48分

こじこじのぶかぶかさんへ☆42歳、お若いですよね。さぞかし心残りだったことでしょうね。
この1年間いつも思うのは、もう74歳だから十分人生を楽しんだし、思い残すこともないいい人生だったんじゃないって勝手に自分を慰めてみたり…でも90歳まで生きる人のことを思うと、やはりまだ早いのかなって思ってみたり…何より父自身は、まだまだ生きたかったみたいです。
わたしたちもこんな片田舎の県立病院より、もっと大阪や京都の専門の先生に診てもらっていたらもしかしたら、ガンが取りきれたんじゃないのかな、もう少し若い患者さんなら先生ももっと力を入れてくれたのでは、よくそんなことも考えました。
何もかもひっくるめてこれが父の運命だったのかなって思えるには時間がかかりそうです。
写真…大事ですよね。母の部屋に置かれた遺影を見るとまるでそこに父がいるようなそんな感じがしてホッとします。
写真の父はもう苦しんでいないからホッとします。

投稿: なっちゃんママ | 2006年9月 5日 (火) 09時36分

私も先月6月に最愛の妻を癌で亡くしました。 2009年の9月3度目の再発でした。今回は症状が悪くある程度の覚悟みたいなものはしていましたが、直るとの強い希望で闘病生活にはいり、私も24時間付き添いするため、会社を退職し看病に入りました。抗がん剤を2週間に一度の頻度で行い、最初の頃は改善が見られたのですが。今年2月に担当医より、治療を継続するか、このまま治療を止めるかの選択をと言われて妻と悩みながら今後のことを話し合い、治療を止めれば、そのまま進行を待つだけ、1%でも希望があればと治療の継続を選択し治療に入りましたが、4月担当医より抗がん剤の効果がなく治療に打ち切りを告げられ、ホスピスの転移を進められ、5月に退院し5月中旬に転移しました。私の頭の中は真っ白な状態で、なにも手がつかない状態でしたが、毎日病院に行き二人でがんばってきましたが、63歳に若さで旅立ちました。何で私の最愛のひとが私残して逝ったのか、何で私の最愛にひとがこんな病気に襲われたのか悔しくてなりません。今はまだ日々涙涙の毎日ですが、楽しい思い出を忘れないようにして行きたいと、思う毎日です。なつきサンも同じ様な気持ち分かります。

投稿: | 2010年7月 6日 (火) 13時23分

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