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無事に帰宅

 本日、ナツ無事に帰宅しました。

定刻を15分過ぎて、11時15分、バスが戻ってきました。6日前に土砂降りの中出発したバスです。今日は予想に反して、雨も降らず、よいお天気でした。この瞬間をどれほど、待ち焦がれたか…。準備からインスリンの単位やら補食のこと、そして用意、打ち合わせ。何もかも今日のこの時を迎えるためのものでしたから、本当に嬉しさはひとしおでした^^

元気そうなナツの顔が見えました。心なしか疲れていたけど、何だか前髪が伸びて、少し大人っぽく見えました。

運動場で解散式です。この中でナツは最後の児童代表の挨拶というのを担当しています。(みんな、期間中何かしら担当が決められています)

文面は出発の前日にわたしが一緒に考えました。

うまく言えるかな、親のほうがドキドキ、よりによって一番最後のしかも保護者の方たちもいる前での挨拶の担当になっていたなんて。

大きな声で、きちんと言えました。全員の拍手を浴びていました(←誰が言ってもそうなのですけど)ちょっと嬉しかったです。あぁまた涙腺がゆるむ~~~~^^;

看護師さん、担任の先生、同行してくださった先生がたに一通り、お礼を言ってから一緒に帰りました。

さてさて気になる血糖の方ですが、どうしてもラーメンを食べたいというので、ラーメン屋さんに言って、注文してから測定。64でした。

6単位打って食べること食べること。ラーメン1人前、餃子5個、ご飯半分。

あぁその血糖じゃないですね。自然学校の間の血糖ですね。

何と測定したのが6日間でたったの12回。そして最高値が到着した日の4時半の268。

最低値は4日目の川遊びの前の34でした。低血糖の連発でした。低め安定ということで^^;

おかげでブドウ糖、ポカリ相当相当減っていました。補食をとらない日はなかったようです。(あぁ主治医に怒られる~)

でもおかげで元気に帰ってくることができました。

BSの検証はまた後ほど…。とにかく元気に帰ることができたのが一番です。

ひとりだけ4日目の夜に発熱でリタイヤ。それ以外はみんな元気でした。

お昼寝したらいいのに、午後からずっと漫画を読んだりパソコンしたりしてゴロゴロ。その代わり夜は早く休ませました。疲れが取れたら、ボツボツ思い出話など聞いていきたいと思います。

ナツが元気で帰れることを一緒に祈っていてくださった皆様、本当にありがとうございました。(ペコリ)

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ナツからのお便り

 今日は朝から出かけていて、2時ごろ帰宅してポストを開けてみると、ナツからの葉書が届いていました。

そうだぁ~すっかり忘れていた^^;

自然学校のイベントのひとつ、「家族への手紙」です。2日目の夕方に書くのです。(手紙といっても葉書ですが)前もって葉書に自宅の宛名を書いて学校に提出します。だから子どもたちは家族に手紙を書かされるということは前もって知っていますが、もうひとつサプライズがあって、家の人から子どもたちへの手紙を子どもには内緒で学校に提出しています。それを現地で読んで感動して(?)返事の葉書を出すというわけです。

ナツへの手紙は、どうせ友だちと見せっこするんだろうなと思って、さらりと書きました。

何書いたっけ?もう忘れてる~。

「元気で楽しんでいますか?ちゃんと注射は打っていますか?低血糖は起こしていませんか?友だちと喧嘩していませんか?」で始まって、「楽しんで帰ってくるんだよ~~~」で結んだような^^;

そしてナツからの葉書にはこう書いてありました。

「元気ですごしてたけど…夜ねむれなくて保健室でねたよ…でも2日目元気でした…牧場物語、君と育つ島を安いの買ってネ!!家よりごはんはおいしい。海はキレイ オホホホホホッ!!」

えっ保健室?眠れないって低かったからじゃないの?あんなに保健室では寝たくないって言っていたのに。多分保健室というのは、看護師さんのお部屋のことでしょう。

そしてよくよく見ると、最初に消しゴムで消された文章はこうでした。

「1日目はちょうしが悪くて保健室でねました。」

消して書き直した後がありました。

わたしが心配するだろうと思って、軽く書いたのかな、どっちにしても心配するよ。何が家よりご飯はおいしいよ!何がオホホホホッよ!(プンプン)

それにゆっくり書く時間がなかったのかすごく汚い字でした>_<

どうせならもう少し良い事を書いてよ~~。

牧場物語はナツが出発の前日までオークションで探していたDSのソフトです。なかなか安くは落ちません。どうしても4000円近くなってしまうのです。

まぁぼちぼち今夜もオークションを探してみますか…ホント親って馬鹿ですよね^^;

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出発の日

 待ちに待った自然学校の出発の日を迎えました。しかし、朝から天気予報どおりの雨>_<>_<>_<

でも元気でこの日の朝が迎えられたことはとても嬉しいです。そして気合を入れてお弁当を作りました。120_2003

出発式は体育館で行なわれました。正直わたしはこういうのが苦手なので、送りに行きたくなかったのですが…。

「準備から何から何まで頑張ったのはお母さんなんだから、送ってやったら。お父さんは何もしてやっていないんだから」と変に謙虚な主人。いえいえスポンサーは何と言ってもお父さんなんだけど…^^;

そして8時から出発式が始まり、保護者も体育館の中ほどで、子どもたちを遠巻きで見ていると、何やら見覚えのある叔母さん、あっいえいえ看護師さんがわたしの方にやって来られました。手にはわたしが朝、校長先生に渡した例のバッグ。(ナツの補食、ランタスやインスリン、針やチップの予備などが入っています。)

「お母さん、ちょっと確認を…」

といきなり、床に座ってバックを広げられようと…。

えっいくら何でもここで、^^;

周りには保護者の方たちが、いっぱいいる中で、いくらなんでもポッキーやジュースの詰まったかばんを開けるのも…。で、体育館の後ろの方に行って頂いて、そこで広げました。

ランタスの注射器、カートリッジの予備、針やチップの予備、はちみつにポカリにガムシロそして使わないけどアル綿一式。

「あっ、持ってきてくださったんですね。わたしもアル綿は十分に用意してきたんですよ」

(オイオイ^^;、使わないって言ったのに…)

何やらお母さんたちの視線を集めてしまいました。決して嫌な視線ではないんだけど、普段ナツがIDDMだということ、もう忘れてしまっている(←当然)お友だちのお母さんたち、何だか改めて、大変なんだなぁというように見られているような気がしました。

確かになんら病気を持っていない、薬も用意しなくていいお母さんから比べると、準備ひとつとっても、雲泥の差、ましてや送るときの心境、いない間の心配。くれべようもないものがある…と、改めて感じました。

そしていよいよ出発、バスまでの濡れる場所にはお母さんたちの傘のアーチ、その中を子どもたち、ちょっとテレながら笑顔で通っていきました。

思わず、涙が出そう。のじおママさ~~~~~ん、お気持ちわかります。わたしも送らなければよかったかも~~。

バスの座席は補助席のナツ、だから乗ってしまうと顔は全然見えませんでした。(かえってよかった)

雨の中、無事にバスは出発して行きました。

家に帰ってホッとするのも束の間、今日は午後から母の五逮夜で、納骨の日になっています。本当なら母の四十九日は7月8日ですが、亡くなったのが5月で“三月に渡る”のはよくないので、三十五日で仕上げ、納骨となるのです。

三人で昼食を食べてお寺へ向かいました。住職さんの説明によると、いよいよこれで母は、“あの世”つまり浄土の人となってしまうのだそうです。

人は亡くなると葬儀が営まれ、斎場でお骨となり骨上げをされます。だからといってその人が亡くなったという事実をそう簡単に受け入れられるものではないのです。日常生活の営みの中にその事を落ち着かせていく作業、それにかかる期間を四十九日とするのだそうです。

住職さんの説明の思わず涙が出そうでした(朝から涙腺が緩みっぱなしです)。

まさにわたしにとってこの四十九日間(本当はまだ三十五日間ですが)はそういう期間でした。ようやく少しずつもう母はいないんだという事実を受け入れることができ始めた頃です。

朝からあんなに雨が降っていたのに、不思議と納骨の間はやみました。母のお骨は無事にお墓に納められました。まだ真新しい父の遺骨の上に重なるように置かれました。その後待っていたかのように雨は本降り。まるで母は今日の日にどうしても父と一緒に納骨されたかったかのようでした。

ある意味、わたしも気持ちが少し吹っ切れたような感じでした。

人が亡くなることは悲しい事実だけれど、何より母にとって一番の願いが父と一緒に逝く事だったのなら、ようやくその思いがかなって本当によかったんだと思ったのです。

わたしたちにとっても出発の日になりました。

夜9時になって、思わず「ナツ、ランタス打つ時間よ」って言いそうになって、そうかぁナツいないんだった、今日は言わなくていいんだってしみじみ。

ナツのいない生活、「測った?打った?」って言わなくていい生活、これに慣れた頃にナツは元気で帰ってきてくれるのでしょう。そしてできればもう何も言わなくても自分でちゃ~~~んとできるようになってくれることも願って(ちょっとむしがよすぎ^^)29日を待ちたいと思います。

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主治医の先生の手紙

 先日(といっても11日)の外来の時に、自然学校の話が出ました。

「もうすぐ自然学校なので…」

「えっ、なっちゃんは5年生だった?あっじゃぁ手紙を書かないと…。いつからですか?じゃぁそれまでに自宅の方に郵送しておきましょう。みんな手紙のお世話にはならないで帰ってきますけどね」

そう言えば、以前にもそんなことを聞いたことがあったような…。自然学校とか修学旅行に行く子には、万が一、現地で具合が悪くなったて病院にかかった場合にそこの先生に渡す手紙を持たせるとか、海外旅行に行くときには英文のレターも用意していただけるのでした。

今日そのお手紙がポストに入っていました。

大きな封筒の中に手紙が3通。ひとつは「ご両親へ」、後は「学校長へ」そして「担当医さま」と。封はされていなかったので、ざっと目を通し、早速学校へ連絡し、持って行ってきました。

「担当医さま」という分が、もし現地で病院へかかる場合に、そこの先生に渡す手紙です。

紹介状と書かれ、ナツの現在のインスリンの量や最近使っているアレルギー(花粉症)のお薬のことが書かれていました。この手紙お世話になることがあると困るのです。何とか使わずに帰ってこれますように。

そして「学校長へ」と「ご両親へ」という手紙には主治医の先生からの指示が書かれていました。

まず、普段よりインスリンの単位を1~2単位減らして、朝、昼、夕食前4単位固定で打つこと、適時追加で1~2単位打つこと、もし高すぎて夜間にトイレに起きるようなら、ランタスを1単位増やすこと。いつも飴などを持たせ、下がったらすぐに口に入れるようにすること、その後でパンやおにぎりなどを与えること。

夜、8時から9時の間に測定をし、その結果を家に連絡し、どうするか指示を受けること、測定器や注射器、インスリンは予備を一式持たせることなどなど。

全ての手紙に先生の連絡先が昼間(病院)と夜間(携帯)が書かれていて、本当に心からありがたいと思ったのです…が、

ここから先はちょっと愚痴です^^;

それなら、その指示、どうして11日の外来の時におっしゃってくださらなかったの~^^;

もう看護師さんとの打ち合わせはとっくに終わっているし、わたしたちの考えもあるんですが~。

食べムラのあるナツに単位固定は無理があるのです。例えば朝食が全然食べられなかったら、4単位でも多すぎになるし、少なめにと言っても、自然学校ではそれほど激しい活動はないし、日数が長いので、体力のないナツの場合、最初から高めでコントロールすると最後には身体がきつい。そんなことも考えての、単位を相談してきたというのに…。

補食にしても、先生はいつもパンやおにぎりなどっておっしゃるけれど、今回の場合も最終的におにぎりは暑い時期なので、食あたりが心配だからと、看護師さんから却下されたのです。でもパンにしても、いくら出発の日に買っても6日間ももつはずもなく、そうなると、どうしてもクッキーやゼリーやチョコなどのお菓子に頼るしかない。

何より寝る前の血糖値の連絡は、今回はナツにまかそうとマニュアルを作って渡しているので、特に必要ないような…

その辺は校長先生もわかってくださり、わたしたちのやり方を尊重してくださることになりました。寝る前もナツが判断に迷った時だけ、家に連絡をとるということで。

測定器一式にしても予備持たせてやりたいけど、予備なんてもらってないやん

ノボペンは予備がある。突刺器もたまたま新しく変わったところなので、まだ前に使っていたランセットや針があるけれど、じゃぁランタスの注射器なんて予備ないし、測定器にしても最初に使っていた旧式のがあるけれど、チップはとっくに使用期限すぎてるし。

校長先生はこの際だから、予備をもらわれたらとおっしゃってくださったのですが、もう日にちがないよ~~~>_<

まぁ測定器一式は看護師さんが持ってくださるのでそれほど心配はしていません。あまり大げさに準備をすると却ってナツがプレッシャーを感じているようで、ほどほどでいいかな…な~~~~んて。

実は私にまだ余裕がないだけです^^

そうこう言いながらも、いよいよ出発まで4日となりました。

荷造りに本腰をいれよう、いや!入れさせようと思います。

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娘として、母として。

 2年前のちょうど今頃からわたしの介護生活が始まりました。それまでは何とかふたりで生活を送っていた両親。ちょうど2年前の6月の終わりに母が体調を崩し、そして7月に入り、父も体調を崩し、否応なく、実家への片道40分の介護生活が始まりました。時には毎日、少ない時でも週に一日。おかげでわたしのムーヴはもうがたがたです>_<

そんな生活も呆気なく2年間で終わりました。10年間も親の介護をしたなんていう話を聞くと、ただただ頭が下がります。わずか2年間でもわたしにとっては本当に大変な日々でしたから。

しかもナツがIDDMを発症して8ヶ月しか経っていなかったこともあって、余計に大変でした。いつも思ったのは、両親のこととナツのこと、天秤にかけないといけない時がきたらわたしは一体どっちを優先したらいいんだろう、そんなことを考えながらの2年間でした。

今思えばナツのことがあったから、頑張れたのかな、ナツのことを受け止めることができたわたしたち家族だから今度もきっと乗り越えられる、そう思えて頑張れたのかな…。

でも正直、この2年間の中でナツがIDDMでなかったらよかったのにって思うことも色々ありました。

両親のことで手がいっぱいの中での、ナツのサマキャン。身体がふたつ欲しいって何度思ったことか…。

父の退院の日に、学校からの電話。「ナツさんがお昼ご飯を食べられないと言っています。」当時はミックスだったので本当に焦りました。何とか保健室に置いている補食で持たせることができました。父を家まで送っておいて、学校に戻ったら、元気に遊んでいました^^;

父の主治医の先生との大事な話の最中にいつも「低い~~」とナツ。あわてて看護師さんが椅子を持ってきて座らせてくれたっけ。

体調が悪くて学校は休んでも、わたしの車で実家へ行くふたり、おかげであの子たち、どんなに熱があっても車に乗るのは平気。

葬儀の読経の中で、そっと口にしたブドウ糖。肌身離さず持っていたインスリンポーチ。

そしていつも携帯の呼び出し音におびえていたわたし。

母として娘として、本当に大変な2年間だったなぁってしみじみ思います。

今は、もう両親のことで心を悩ませることも痛めることもなくなって、そして同時にナツももうすぐ自立していきます。

大変な時期って重なるのかな、もう少しどっちかにずれていてくれたらよかったのに。

あっそうそう、嫁として役割、まだしっかり残っています。姑はまだまだ元気ですから、でもいつか、また介護生活が始まるかも…。

妻としての役割、もうとっくに放棄してま~~~~す^^

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最近の日曜日

 母が亡くなってから、日曜日はいつもこんな感じ。

火曜に亡くなった母は、逮夜が日曜日になります。毎週日曜には時間を打ち合わせし、お寺に行って逮夜のお勤め(おまいりとも言う)を行ないます。住職さんのお念仏を聞き、みんなでお経を唱え、少しお話を聞き、最後にお墓参り(父が眠っている)にお参りして終わり。時間にしてざっと一時間。

ちなみこの逮夜の曜日はこっちで勝手に変えることができません。水曜に亡くなった父の場合は月曜だったので、主人たちはほとんど行けませんでしたが、今回は日曜、主人も義兄もそして子どもたちもみんなで行くことができます。(これがよいのか悪いのか^^;)

おかげで子どもたち、お焼香もお経も上手です。たまに足がしびれて困っています。

そしてこの時間の前後を利用して、母の入居していた施設の部屋の片付け、そして両親が住んでいた古い家の片付け、近所に住む親戚のところに行ったり、何かと忙しく結局一日がつぶれます。

昨日の場合、午前中に田んぼの草刈をしました。田んぼといってももう7年ぐらい前から休耕していて、草がボーボーです。なんと背丈よりも高い。そしたら市の方から、草刈等、管理をしてくださいというお手紙が来ちゃいました。仕方がないので、主人が3時間かけて草刈機で刈ってくれましたが、猫の額ほどの農地なのに、半分刈るのがやっとです>_<

そして午後は、ちょうど粗大ゴミが出せる日だったので、古い家の粗大ゴミをみんなで出しました。ソフャーやベッド、布団に衣装ケース、物干し竿などなど。実はこの古い家と土地を買いたいという方が見つかって、そのためになるべく早く片付けないといけないのです。

しかしこんなにしても焼け石に水です。なかなか片付きません(*_*)

きりのいいところでやめて帰りました。帰る途中のスーパーで夕食のおかずを買って帰ったのは言うまでもありません。

そんなわけで、子どもたちも主人もいつも月曜の朝は疲れています。今日もしぶしぶ学校に行きました。折角のお休みがつぶれてしまう子どもたちはちょっとかわいそう。

こんな日曜日なので、ナツのBSが今いくつなのか、低いのか高いのか、全く知りません。適当にジュースを飲んだり、アイスを食べたり、追加で打ったりでうまくやっているようです。自然学校の準備も一向に進みません。

今日は朝から雨。少し準備を真剣に進めて、あとはまったりとした一日を過ごそうかなと考えています^^

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だからわたしは笑っていなくっちゃ

 昨日はナツの忘れ物を学校に届けて、しばし校長先生と話し込んできました。

校長先生は今年が最後の教師生活、来年の3月で定年退職だそうです。女性で校長職、家に帰ると3女の母で妻でもあります。同じ女性として人生の大先輩として話しているといろいろなことを教わります。とても勉強になります。

こうして校長先生と雑談できる、これってIDDMママの利点。おそらくナツがIDDMでなかったら、わたしは校長室に入ることさえなかったかもしれない。

校長先生には、折に触れて父のことや母のことも話していたので、今回も当然その話になりました。校長先生はわたしより20歳も上ですが、まだお母様はご健在だそうです。お父様は大学生の時に他界され、最期を看取ることもできなかったとか…。

そしてふたりでウルウルしながら、夫婦って、親子ってなんなんだろうって話ました。

そんな中で最後におっしゃった言葉、

子どもを幸せにしたい、元気でいて欲しいって思ったら、まずお母さんが、幸せでいないといけない。親が悲しい顔をしていたり、辛そうな表情をしていると子どもはどんなに悲しくて辛いか…。逆に子どもが悲しんでいる姿は親にとってどれほど辛いことか

今までにも何度も言われました。「とにかくお母さんが幸せになって。そしたら子どもも幸せになるんだから」って。

この言葉は今のわたしの心に思いっきり刺さるのです。(*_*)

ナツとユウのために、そして天国の両親のために、だからわたしは笑っていなっくっちゃいけないんだよね。今日も明日も、あさっても。

でも泣きたいときは泣くからね、そしたらまた笑えるような気がする。

幸せになるために、おいしいものを食べて好きなこともしよう。

心が少し軽くなって学校を後にしました^^

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母が亡くなった日のこと

 3週間前の火曜日の話です。前回書きましたが、午後4時にわたしの携帯がなりました。そして駆けつけた病院では無言の母との対面が待っていました。警察の遺体検案も終わり、引き渡されました。迷うことなく父と同じように会館へお迎えの電話をかけ、迎えに来てもらい、会館へとわたしたちも向かいました。

後で主人から聞いた話です。このことを聞いたわたしの主人の母は、「そんなひどいこと。どうして一度家に帰してあげないんやろ。もしわたしが死んだら一度は家に戻してね」と言ったとか…^^;

会館に着くと、連絡していた主人が先に待っていてくれました。主人の顔を見た瞬間、どれだけホッとしたか。今までの張り詰めていた糸が切れるような思いでした。会館に入るとやっとナツやユウもホッとしたようです。こんなところにきてホッとするのも変な話ですが、父の時に経験しているので、なぜかふたりともここを気に入っています。少しナツの顔にも笑顔が戻りました。

そして母の妹たち(わたしの叔母)がお悔やみに来てくれました。平行して父の時と同じように、会館の方と葬儀の打ち合わせが進みます。祭壇を決め、葉書を決め、お供え物を親戚の方たちが選んでくれてといった具合。何もかも9ヶ月前の父の時の繰り返しです。

「父の時はこうしたよね、去年はこうだったね」といった具合にとてもスムーズに進みます。でも気がつくと9時をまわっています。

しまった~~ランタスを持ってくるの忘れた~

ランタスは家でしか打たないので、インスリンポーチには入れません。こういう時には困るのです。ただどっちにしてもわたしたちは今夜、会館に泊まることになるのでとにかく一度家に戻り、着替えやら葬儀に必要なものを取りに帰ることになりました。

家に戻り、遅い遅い夕食をとりました。結局この日の夕食、ナツは一口も食べません。気になるBS、病院で202、この時点で248。食べないので打たないで様子をみました。ランタスだけいつもの10単位。そして4人の2泊分の着替え、式服、ナツやユウが通夜、葬儀に着る服(学校の制服がないのでこういう時に困る)を片っ端から詰めていきました。

そして一番大事な針の予備、チップの予備も多目に。何も食べていないナツのためにお菓子からジュースからいっぱい。あっそうそう、ブドウ糖も一袋。

去年父の時も思ったのですが、こういう時にまるで旅行にでも行くようなジュースやお菓子。さぞ知らない人からみたら、なんて不謹慎な…って思われるような荷物。でもナツはIDDM。どんな時でもたとえおやつに見えてもこれはインスリンと同じぐらい必要なものなのです。

おかげで海外旅行にでも行くような荷物になりました。

会館に戻り、ナツたちはお風呂に入って休ませました。この時に追加インスリンを打ったかどうかは忘れたのですが、夜間に43でナツが目を覚ましました。確か父の時もここで夜間に低血糖を起こしたんだっけ。ね、だから持ってきたジュースやブドウ糖が大活躍なんです。

わたしも主人と色々話はあったのですが、これからの2日間を考えて、1時過ぎに休みました。ただ部屋の大きな冷蔵庫の運転音が大きすぎて何度も何度も目が覚めました。

補食をとらせたナツは何とか朝までもちました。

母とわたしたち4人がこんな風にひとつの部屋で寝ることなんて最初で最後です。こんなことになるのなら一緒に旅行に行ったり、泊まりに行ってやったりしていたらよかった。そう思うだけで涙が止まりませんでした。

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親の気持ち、学校の責任

 本当は明日の4時が、今度自然学校に同行していただける看護師さんとの打ち合わせのはず。急遽今日の4時半からになりました。連絡いただいたのは、4時前、あせりました。実は資料もまだ完全ではない。プリントアウトもしていないというのに^^;

そしてこんな時に限ってプリンターのインク切れ(*_*)仕方がないので、FDに落として学校に走りました。

第一印象、無表情な感じの年配の看護師さん

わたしが校長室に入ったら、先に座られていて黙々と資料に目を通しておられる。その資料は、発症時にわたしが渡した資料を当時の養護教諭が分かりやすく書いたもの。おそらく去年、異動の際の引継ぎ資料として置いていかれたのだろう。しかし、あれから既に1年半。インスリンも当時はミックス製剤で低血糖の補食も下がり方も今よりひどかった。それを渡す現養護教諭、相変らずだなぁ。

そして自然学校に同行してくれる先生方、担任を含んで4名と(同行はしないけれど)養護教諭、校長先生、看護師さんを相手に説明をすることになりました(汗)

今回のポイントはランタスを確実に打つこと、夜間の低血糖、高血糖を防ぐための寝る前の測定、食欲がなく食事が採れない場合のこと、そして救急時の対応についてを中心に説明しました。

あっそうそう忘れていました。一番肝心なこと、とにかくナツが楽しくみんなと同じように6日間を過ごせることを第一にあまり管理的にして欲しくないこと。

学校側の対応は最初、夜間もその看護師さんとナツだけ別の部屋に寝たらどうかといわれたほど^^;

もちろん即座に断りました。ランタスも午後9時の声掛けだけをお願いするつもりが、結局、看護師さんが預かってその時間にナツに渡して打たせることに。

今までは社会見学の時など、一日中自分で保管していたインスリンポーチも今回はずっと看護師さんが持って同行し、打つとき、測りたいときにナツに渡すことになりました。

ちょっと予想外でした。でも食事の時など、みんなは何も持たないで食堂に行くのに、ナツだけインスリンを持たないといけない、IDDMのサマキャンと大きく違う点です。それに川遊びやプール、海に入るとか釣りをするなど、やはりナツがずっとインスリンポーチを持って動くのは無理があるし、かといって部屋においていくのも困る。何より学校はインスリンの保管の問題(誰かがふざけて触ること)なども心配してのことのようです。

測定もどうしても測らせたいのは起床時と寝る前だけ、後は任意でナツが異常を感じた時にだけと言ったら、

「えっ、毎食後2時間後に測らないの?」と怪訝そうな顔の看護師さん。それはあくまでも教育入院中の話で、実際の生活ではとても無理、いつもは給食前さえ測らないのに。第一わたしたちはそんなに多くのチップの支給は受けていない。おそらく看護師さんは、2型の教育入院のイメージをお持ちだったよう。測定器も突刺器具もご覧になられて浦島太郎状態でした。

「わたしが知っているのとは随分違いますね」と。(何年前?)

そしてインスリンポーチの中をご覧になって、

「あぁこれがアル綿ね」とおっしゃったので、「えぇでも実は消毒はほとんどしていないんです。」と言ったら、目が点でした@-@

「針も毎回交換しないこともあるし…」

開いた口がふさがらない感じでした@-@

でもどうせばれるし。机の上での理論と実際に病気との日常。そんなにマニュアルの通りには行くはずもないのに。「主治医の先生もご存知です」と言ったら、それ以上はおっしゃいませんでした。ジーンズの上から打つなんて言ったら卒倒されちゃうだろうか。

今回のことで感じたこと、学校側はどちらかというと管理的にしておくほうが、ある意味安心だし、楽。もちろん責任という問題も。でもわたしたちは今回の経験がナツにとっての自立の第一歩となるよう、距離をおいて見守ってやってほしい。少しギャップがあるのです。でもどんなに楽しめても、最後の最後に大きな低血糖発作やアクシデントがあったらやっぱり嫌な思い出になってしまう。それにそうそうこっちの希望ばかりもいっていられません。

こうして多くの先生方がナツのために時間を割いて(結局1時間半かかりました)話を聞いてくれている。本当にありがたいことです。ただただ頭が下がります。

最後に今までに2回、4泊5日のIDDMのサマキャンに参加してきたことをお話したら、少しホッとされたようです。まぁ何とかなるでしょう。備えあれば憂いなしで、しっかりと補食やインスリンの予備などなど、明日から準備していこうと思いました。

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あなたの大変とわたしの大変

 ナツたちの学校は欠席する時には連絡帳に理由などを書いて、同じ町内のお友だちにことづけます。そして先生のお返事が書かれた連絡帳が届きます。

母の通夜、葬儀の時には、ナツもユウも2日間、忌引きで学校を休みました。その事を書いた連絡帳には先生からのお返事が書かれていました。

ちょっと引っ掛かるのがユウの担任の先生の言葉。

ユウに対しては、「かわいそうですね。忙しくて時間がなかったり、疲れていたら宿題はできなくてもいいですよ」

わたしに対して、「私事ですが、叔父が亡くなり、ちょうど同じ日、わたしも通夜、葬儀と走り回っていました。大変ですがお母様もお疲れが出ませんように」

ねぎらいの言葉は嬉しいのですが、叔父が亡くなるのと、実母が亡くなる大変さは雲泥の差。叔父さまが亡くなられても、所詮お香典を持ってお式に出ればそれで終わること。

母の場合、特にわたしには男兄弟がいないので、喪主は姉婿。そして姉夫婦とわたしたち夫婦が親族席に立ちました。亡くなったその時から、遺体の搬送、会館への申し込みに始まって、祭壇を決めたり、通夜席の食事のこと、斎場でのお弁当の数から焼香順、お弔電を読む順番まで決めなければならないことが山積み。いざ開式の時間になるとこられた方たちへ挨拶をして回り、終わったら終わったで、また挨拶をして回り、そして後々の親戚付き合いのことまで根回しして…と気が遠くなりそうでした。

あなたの大変とわたしの大変を一緒にしないでって思ったのです。

実はこの先生、ナツの発症時の担任です。そうです、例のお見舞いに洋菓子の詰め合わせを持って病院へこられた先生なのです。(もうその事は根に持っていませんが)

その時にもこんなことがありました。お見舞いに来られて帰る前になって、ふとわたしの付き添い用のベッドに目をやられ、

「お母さん、毎日病院で泊まられているのですね。わたしも子どもが入院した時は一週間、病院で泊まってそこから職場に通いました。大変ですよね。」と…。

その時も思ったのです。たった1週間で退院できる病気ぐらい、今のナツの状況と比べたら、雲泥の差。同じ付き添いでも治って退院できるのと、これからこの病気と付き合っていく覚悟を決めるための付き添い、あまりにも大変さのレベルが違うでしょうって。

だから、連絡帳の返事を読んだときには、あぁ変わらないな、この先生って思いました。

わたしもちょっとこの先生と似ているところがあるので、気持ちはわからなくもないのです。

わかるよ、あなたの大変さって言いたい気持ち。何となく人生の先輩風吹かしたい気持ち。でも大変さって人によって絶対に違うもの。軽々しくわかるよなんて言って欲しくないものなんだなぁ。これからはわたしも気をつけなきゃって思った出来事でした。

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ひとり暮らしのおじいちゃん

わたしたちの市では、ひとり暮らしの高齢の方が誕生月に花のプレゼントをもらえるという制度があります。主催は市の『社会福祉協議会』、協力が市の『子ども会連合会』ということで、同じ町内の子どもがその花のお届けをするのです。

実は今年は子ども会の会長を引き受けていて、この花が我が家に届くことになっています。それに子どもの手紙を添えて、ひとり暮らしのおじいちゃん、おばあちゃんのお家に届け、可能なら子どもとのふれあいの時間を持ちましょう、そして子どもたちはその経験を感想文にして市の方に報告するというシステムです。

その最初の分が先週末に届きました。(年間で対象者は5人です。)

6月に誕生日を迎えるあるおじいちゃんの所に鉢植えの花(かなり高そう)と子どもに手紙を書かせ,それを持っていきました。

実はこのおじいちゃん、ちょっと変わり者で通っています。7時過ぎに行ってみると留守でした。「留守のおうちには置いて帰ったらいいのよ、気になるなら後でちゃんと受け取ってもらえたか見に行けば…」って今までの会長さんから聞いていたので、そのとおり置いて帰ってきました。

そして8時過ぎに電話を入れると、

花なんかいらんのに、わしは百姓や、花なんかいらん。どうせもらってもからすだけや。もう来年から持ってこんでいい、死ぬまで持ってこんでいいからな」

ただただ受話器のこちらで頭を下げて「すみませんでした」と謝るしかありませんでした。そして子どもたちがこのセリフを聞かなくてよかった。もしあの時、留守でなくいらっしゃったら子どもにもこういう言葉を浴びせるのだろうか。

ナツとユウにお手紙書いてって頼んだら張り切って書いてくれました。同じ町内といっても見たことも会ったこともないおじいちゃんです。

「なんて書いたらいいんだろう。『元気で長生きしてね』って書いたらいいの」

うう~~~~~ん。わたしはよく使われるこの『長生きしてね』という言葉が実はあまり好きではありません。『頑張ってね』という言葉と同じような感覚で誰にでも使っていい言葉とは思えないからです。

ナツは「暑くなるので身体に気をつけてください」と書き、ユウは「僕は自然がいっぱいのこの町が大好きです」と書きました。

この子どもたちの手紙もくずかご行きになったのでしょうか。なんともたまらない気持ちです。そしてふと思いました。もし実父が生きていて、こういう体験をしたら、喜んで受け取っただろうか。そのおじいちゃんには子どもも孫もなく、奥さんはかなり以前にガンで長患いの末に亡くなられたとか…。

実父も気難しい時がありました。体調の悪い時なら、見ず知らずの子どもの手紙、欲しくもない花、喜ぶとは思えません。もちろんそういう人ばかりではないはず。この日を心待ちにして暮らすお年よりもおられるかもしれません。

でも高齢の一人暮らし、決して穏やかな生活ばかりではないはず。それに淋しいでしょうから花をあげましょう、子どもを行かせましょう、癒しになるでしょうという行政の考え方。ちょっと甘いと思うのです。両親のことで、老後を迎えるという現実をまのあたりにしてわたしが感じたことです。施設で暮らすお年寄りの生活を見て感じてきたことです。

市の方への報告の手紙にはわたしがありのままを書いて、この制度、もう一度考えられたらどうでしょうと書きました。

さぁ来年、この方のところに花は来るのでしょうか、来年の会長にはこのことをしっかり引き継いでおこうと思いました。

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 自然学校説明会

 昨日の4時から学校で自然学校説明会が行なわれました。出席率100%、さすがです。

まず担任の先生の話、子どもたちは今回の6日間の自然学校を終えると、ぐんと成長するそうです。自立への取っ掛かりとなる大切な行事です。

校長先生の話、ちょっと興味深い実話です。何年か前の出発式でのこと、先生から「みんな、かばんから○○を取り出してください」と言われ、ごそごそ取り出す子どもたち。すかさず、見送りに来ていたお母さんが、自分の子どもの所にさっと行って、かばんからそれを取り出して渡したとか^^;

子離れできていない、自立していない親子の話です。6日間も集団行動をしていると、いかに自立していないか、全てわかるとおっしゃっていました。(我が家はどうだろう)

最低限、荷造りは子どもと一緒にしてくださいとおっしゃっていました。

思えばナツの場合、3年生で初めてサマキャンに参加したんだっけ。5日間のサマキャンの荷造り、この時はナツが全部一人でしました。子離れしていないわたしがどうして手を貸さなかったかというと、ちょうどその時、父のガンの告知、そして手術、母の介護うつがピークで、それどころではなかったのです。

下着に大きく自分で名前を書いて詰めて持って行ってました。主治医の先生に十分な準備もしてやれなくてと愚痴ったわたしです。だから今回も何とか頑張って自分でしてくれるでしょう。少しだけ手伝ってやろうと思います。

しかしサマキャンと違って今回は補食とインスリン、針、チップの予備などの準備を完璧にしてやらないといけない。今のわたしには少し重荷。でもこうしてバタバタ忙しくしているほうが、母のことを考えて泣くこともなくていいのかなと思っています。

来週の木曜日には、6日間同行してくださる看護師さんとの打ち合わせも予定しています。それまでに簡単にお願いしたいことなど、まとめておきたいと思います。

もうひとつ学校から宿題がありました。子どもに内緒で子ども宛の手紙を書いてくださいと。それを2日目のちょうど淋しくなった頃に現地で子どもたちに渡すそうです。みんな感激するようです。そしてその返事を今度は子どもたちが葉書に書いて出すとか。

ナツへの手紙、考えただけでウルウルきそうなわたし。IDDMっ子のお母さんたちなら、おそらくIDDMのこと抜きには書けないでしょう。わたしも多分その事をメインに書いてしまいそう。う~~~~ん、むずかしい。21日までに、書いて学校にそ~~っと提出します。

毎日バタバタしていますが、これからは自然学校に向けての準備を第一に考えていこうと思います。きっとあっという間に出発の日を迎えてしまうんだろうな。そしてわたしの心配をよそに、楽しんであっという間に帰ってくるんだろうな。

どうか無事に事故、怪我、病気なく帰ってきてくれますように^^

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