最近の日曜日

 母が亡くなってから、日曜日はいつもこんな感じ。

火曜に亡くなった母は、逮夜が日曜日になります。毎週日曜には時間を打ち合わせし、お寺に行って逮夜のお勤め(おまいりとも言う)を行ないます。住職さんのお念仏を聞き、みんなでお経を唱え、少しお話を聞き、最後にお墓参り(父が眠っている)にお参りして終わり。時間にしてざっと一時間。

ちなみこの逮夜の曜日はこっちで勝手に変えることができません。水曜に亡くなった父の場合は月曜だったので、主人たちはほとんど行けませんでしたが、今回は日曜、主人も義兄もそして子どもたちもみんなで行くことができます。(これがよいのか悪いのか^^;)

おかげで子どもたち、お焼香もお経も上手です。たまに足がしびれて困っています。

そしてこの時間の前後を利用して、母の入居していた施設の部屋の片付け、そして両親が住んでいた古い家の片付け、近所に住む親戚のところに行ったり、何かと忙しく結局一日がつぶれます。

昨日の場合、午前中に田んぼの草刈をしました。田んぼといってももう7年ぐらい前から休耕していて、草がボーボーです。なんと背丈よりも高い。そしたら市の方から、草刈等、管理をしてくださいというお手紙が来ちゃいました。仕方がないので、主人が3時間かけて草刈機で刈ってくれましたが、猫の額ほどの農地なのに、半分刈るのがやっとです>_<

そして午後は、ちょうど粗大ゴミが出せる日だったので、古い家の粗大ゴミをみんなで出しました。ソフャーやベッド、布団に衣装ケース、物干し竿などなど。実はこの古い家と土地を買いたいという方が見つかって、そのためになるべく早く片付けないといけないのです。

しかしこんなにしても焼け石に水です。なかなか片付きません(*_*)

きりのいいところでやめて帰りました。帰る途中のスーパーで夕食のおかずを買って帰ったのは言うまでもありません。

そんなわけで、子どもたちも主人もいつも月曜の朝は疲れています。今日もしぶしぶ学校に行きました。折角のお休みがつぶれてしまう子どもたちはちょっとかわいそう。

こんな日曜日なので、ナツのBSが今いくつなのか、低いのか高いのか、全く知りません。適当にジュースを飲んだり、アイスを食べたり、追加で打ったりでうまくやっているようです。自然学校の準備も一向に進みません。

今日は朝から雨。少し準備を真剣に進めて、あとはまったりとした一日を過ごそうかなと考えています^^

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だからわたしは笑っていなくっちゃ

 昨日はナツの忘れ物を学校に届けて、しばし校長先生と話し込んできました。

校長先生は今年が最後の教師生活、来年の3月で定年退職だそうです。女性で校長職、家に帰ると3女の母で妻でもあります。同じ女性として人生の大先輩として話しているといろいろなことを教わります。とても勉強になります。

こうして校長先生と雑談できる、これってIDDMママの利点。おそらくナツがIDDMでなかったら、わたしは校長室に入ることさえなかったかもしれない。

校長先生には、折に触れて父のことや母のことも話していたので、今回も当然その話になりました。校長先生はわたしより20歳も上ですが、まだお母様はご健在だそうです。お父様は大学生の時に他界され、最期を看取ることもできなかったとか…。

そしてふたりでウルウルしながら、夫婦って、親子ってなんなんだろうって話ました。

そんな中で最後におっしゃった言葉、

子どもを幸せにしたい、元気でいて欲しいって思ったら、まずお母さんが、幸せでいないといけない。親が悲しい顔をしていたり、辛そうな表情をしていると子どもはどんなに悲しくて辛いか…。逆に子どもが悲しんでいる姿は親にとってどれほど辛いことか

今までにも何度も言われました。「とにかくお母さんが幸せになって。そしたら子どもも幸せになるんだから」って。

この言葉は今のわたしの心に思いっきり刺さるのです。(*_*)

ナツとユウのために、そして天国の両親のために、だからわたしは笑っていなっくっちゃいけないんだよね。今日も明日も、あさっても。

でも泣きたいときは泣くからね、そしたらまた笑えるような気がする。

幸せになるために、おいしいものを食べて好きなこともしよう。

心が少し軽くなって学校を後にしました^^

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母が亡くなった日のこと

 3週間前の火曜日の話です。前回書きましたが、午後4時にわたしの携帯がなりました。そして駆けつけた病院では無言の母との対面が待っていました。警察の遺体検案も終わり、引き渡されました。迷うことなく父と同じように会館へお迎えの電話をかけ、迎えに来てもらい、会館へとわたしたちも向かいました。

後で主人から聞いた話です。このことを聞いたわたしの主人の母は、「そんなひどいこと。どうして一度家に帰してあげないんやろ。もしわたしが死んだら一度は家に戻してね」と言ったとか…^^;

会館に着くと、連絡していた主人が先に待っていてくれました。主人の顔を見た瞬間、どれだけホッとしたか。今までの張り詰めていた糸が切れるような思いでした。会館に入るとやっとナツやユウもホッとしたようです。こんなところにきてホッとするのも変な話ですが、父の時に経験しているので、なぜかふたりともここを気に入っています。少しナツの顔にも笑顔が戻りました。

そして母の妹たち(わたしの叔母)がお悔やみに来てくれました。平行して父の時と同じように、会館の方と葬儀の打ち合わせが進みます。祭壇を決め、葉書を決め、お供え物を親戚の方たちが選んでくれてといった具合。何もかも9ヶ月前の父の時の繰り返しです。

「父の時はこうしたよね、去年はこうだったね」といった具合にとてもスムーズに進みます。でも気がつくと9時をまわっています。

しまった~~ランタスを持ってくるの忘れた~

ランタスは家でしか打たないので、インスリンポーチには入れません。こういう時には困るのです。ただどっちにしてもわたしたちは今夜、会館に泊まることになるのでとにかく一度家に戻り、着替えやら葬儀に必要なものを取りに帰ることになりました。

家に戻り、遅い遅い夕食をとりました。結局この日の夕食、ナツは一口も食べません。気になるBS、病院で202、この時点で248。食べないので打たないで様子をみました。ランタスだけいつもの10単位。そして4人の2泊分の着替え、式服、ナツやユウが通夜、葬儀に着る服(学校の制服がないのでこういう時に困る)を片っ端から詰めていきました。

そして一番大事な針の予備、チップの予備も多目に。何も食べていないナツのためにお菓子からジュースからいっぱい。あっそうそう、ブドウ糖も一袋。

去年父の時も思ったのですが、こういう時にまるで旅行にでも行くようなジュースやお菓子。さぞ知らない人からみたら、なんて不謹慎な…って思われるような荷物。でもナツはIDDM。どんな時でもたとえおやつに見えてもこれはインスリンと同じぐらい必要なものなのです。

おかげで海外旅行にでも行くような荷物になりました。

会館に戻り、ナツたちはお風呂に入って休ませました。この時に追加インスリンを打ったかどうかは忘れたのですが、夜間に43でナツが目を覚ましました。確か父の時もここで夜間に低血糖を起こしたんだっけ。ね、だから持ってきたジュースやブドウ糖が大活躍なんです。

わたしも主人と色々話はあったのですが、これからの2日間を考えて、1時過ぎに休みました。ただ部屋の大きな冷蔵庫の運転音が大きすぎて何度も何度も目が覚めました。

補食をとらせたナツは何とか朝までもちました。

母とわたしたち4人がこんな風にひとつの部屋で寝ることなんて最初で最後です。こんなことになるのなら一緒に旅行に行ったり、泊まりに行ってやったりしていたらよかった。そう思うだけで涙が止まりませんでした。

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急性心筋梗塞って?

 急性心筋梗塞これが、母の死亡診断書に書かれた病名です。そしてあの日以来、この病名がわたしの頭の中で渦巻いています。ネットで色々調べてみたり、人に話を聞いてみたりしながら少しずつ、この病気で亡くなったということを受け入れていこうと思います。

なぜなら母は、75歳にしてはたいした持病もなく、少し高血圧、少し高脂血症、少しコレステ値が高いといったぐらいのとっても健康体の人でした。(ただし心は病んでいましたが。)

なのでいまだに母と病名が結びつかない。そして防いでやることはできなかったのだろうかと思ってしまうのです。

5月22日、午後4時5分、わたしの携帯がなりました。

「こちらは○○の××病院です。今○○さん(母の名前)がこちらの病院に救急車で搬送されてきましたので、すぐに来てください」

どんなに状態を聞いても教えてくれません。とにかく「すぐに来てください」としか言ってくれません。少し嫌な予感がしました。後でわかったことですが、このとき既に母は亡くなっていました。

その後母の入居している施設長さんから連絡がありました。

「今、警察の方がこられてお母様が救急車で病院に運ばれたそうです。わたしもすぐに向かいますので、来てください。」

様子を聞くと、「お母様はだいぶ、心臓が弱っておられたようで、運ばれた時には心肺停止の状態だったようです」

後でわかったことですが、このときも既に母が亡くなっていることをご存知だったのです。そして病院で本人確認をされた後、正式に車で向かっているわたしの携帯に連絡がありました。

「今、病院で確認させていただいたのですが、お母様はお亡くなりになりました。」

車で40分、その間にナツとユウに手伝ってもらいながら、わたしの主人、そして姉、叔父、叔母と主な方たちに連絡をとっていきました。父のことがあったので、わたしの携帯にはこういう場合の緊急連絡先が登録されたままです。そして父の時と同じようにそれをしている自分がいる。

病院に着いたら、母は処置室にいました。路上で倒れたこと、ひとりだったことから、事件性を疑われて、色々厄介でした。幸い、目だった外傷もなく、金品も取られていない、何より母が倒れていたのは交番の前だったので、事件性はないと判断され、院長の判断で病死となりました。そして付けられた病名が急性心筋梗塞となったわけです。

頭や心臓、内臓のCT,レントゲンがいっぱい撮られていました。病院はできるだけのことをしてくれたようです。発見も早かったのに間に合わなかった、諦めるしかないのです。

その時交番にいて、救急車を呼んでくれた警察官の方に最後の様子を聞くことができました。

倒れた時には既に心臓が止まっていた、いや心臓が止まったから倒れたのでしょう、でも呼吸はあった、痙攣を起こしていた、呼びかけには全く反応しなかった。なので母の場合も最後の言葉を聞くこともできなかった。

病院で白い布を着せられている母はまるで眠っているかのようでした。わたしはまるでテレビドラマの中にいるようで、ただただ呆然としていました。

父の時に経験しているので、そのあとの段取りが悲しいほどスムーズに進みました。会館やお寺への連絡。そして気がついたのですが、母は父の時とほとんど同じ時間に亡くなっていました。

きっと父が迎えに来てくれたんだね。そう思うようにしています。

さてさて肝心のナツの様子です。

正直ナツの血糖や気持ちを考えてやる余裕など全くありません。おじいちゃんと同じようにおばあちゃんも亡くなったということはすぐに理解できたようです。そのせいか、車の中ではずっと気分が悪いを連発。最後のおばあちゃんの姿は見ようとはしませんでした。そして少し泣いていました。自販機でお水を買って飲ませました。

駆けつけてきてくれたいとこに、

「今度はあんたらがしっかりせなあかんのよ」と言われて、それからの3日間を乗り切ったわたしです。そして今回ほど主人の存在をありがたいと思ったこともなかったです。この続きはまた後ほど…。

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突然の別れ

 5月22日、午後4時わたしの携帯がなりました。実母が星になりました。

今でも信じられません。

落ち着いたらゆっくり思いの丈を書き込んでいきたいと思っています。また読んでください。

そんなわけで↓の記事のコメントくださった皆さん、遅レスになってしまってごめんなさい。

もうしばらく待ってくださいね。

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